もし、日本も戦争が起きたり、首都直下型地震がきたりしたら、私も、どこにも行かず、どこにも出れず
このベット上にいるだろうと思っています。

人工呼吸器と酸素、真夏の電気毛布 様々な医療機器を持って
このベット上から抜け出して何処かに行く事は
かなり困難。

停電なら、医療機器は止まるでしょう。

一応、主治医のいる病院に救急車で行く事になってますが、、

ウクライナ避難民の方々を他人事だと思えないので
自分のやれる事を今、できる事をやります。

日本人は無関心です。明日は我が身。

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ここは寒く、水もありません。ベッドもマットレスも毛布もありません。街は常に爆撃されています」とメッセージは読みます。「どうか、誰かが私たちが街から出るのを手伝ってくれませんか?このSMSがあなたに届くことを願っています。」
メッセージは、脊髄損傷のある32歳の女性、OlhaChernozhukovaからのものです。戦争が始まったとき、彼女はセベロドネツク郊外の73歳の母親と共有していた家に、電気とガスの供給が遮断された後も滞在しました。しかし、砲弾が隣の庭に着陸し、別の砲弾が友人の3歳の娘を殺害した後、ボランティアは彼らを市内の爆弾シェルターに連れて行きました。彼女が避難所の床にある木製のパレットの上に横たわっていたところから、オルハはまだそれらの上に砲弾が着陸するのを聞くことができました。
「私たちはそこに生き埋めになるだろうと思った」と彼女は後で言った。「私はただ恐怖を感じました。」