この度、私どもが
🇺🇦#ウクライナバージョン折り紙ヘルプカード
の依頼を受けた、#国際NGOの心あるサポート、支援の仕方が書いてありました。
その人の立場に立ってどう行動すれば良いのか?試行錯誤の繰り返し。

ヨーロッパのYMCAと日本のYMCAのスタッフの真心の連携。ひとりのご婦人に【寄り添う姿】が書いてありました。

今、ウクライナカードを作成した事により
私のベット上の人工呼吸器を着けた作業は、大きく国際的人道支援に飛び立とうとしています。

国内は、
北海道庁
東京都庁
横浜市

そして、日本YMCA同盟→海外のYMCAへ の挑戦❣️

🕊すべてのひとに平和と公平を🕊SDGs目標16

一一一一一一

以下 NHKニュースより

避難の道のりは長く険しく
ロパテンコさんの避難は、情勢の緊迫化によって何度も計画の変更を迫られるなど、長く険しいもの

支援した「日本YMCA同盟」によると
ロパテンコさんは、東京の娘夫婦のもとに避難すると決めたあと、まず日本の大使館業務を担う臨時の事務所があったウクライナ西部のリビウに向かう計画を立てた

しかし、情勢の緊迫化でビザの手続きができないという情報が入り、行き先を変更してポーランド国境の町まで向かうことになった

およそ900キロに及ぶバスでの移動は、ロシア軍による攻撃を避けるためにう回路を使わざるを得ず、通常の2倍以上の25時間もかかった

この時の状況について、ロパテンコさんは「夜でもバスの電気を消して進む必要がありました。到着するまで常にロシアから攻撃されるのではないかととても怖かったです」と話した

国境を越えたあとも、ロパテンコさんは再び遠回りを余儀なくされます。

ビザの手続きをポーランドのワルシャワで行おうと考えましたが、直行のバスが見つからず、南部のクラクフを経由して向かわざるをえなかった

クラクフからは、NGOのヨーロッパのメンバーからつきっきりで支援を受け、ワルシャワに到着したあと、ボランティアの自宅でようやく体を休めることができた

この間、日本のメンバーは必要な書類のデータを準備し、現地のメンバーが大使館に提出するなど手続きを連携して進め、ロパテンコさんはふるさとの町を出てからおよそ2週間かけて日本にたどりつくことができた

「日本YMCA同盟」は「本人の負担も考えると、日本で受け入れる人がはっきりしていれば、ビザの手続きを簡略化することも検討してほしい。

今回、国境を越えてNGOが連携することで日本への避難が実現したので、募金の呼びかけとともに、もっとたくさんの人が避難できるようにサポートを続けたい」と話していた

また、支援にあたったヨーロッパのメンバーは「現地では数時間後、数日後、数週間後に何が起きるか分からない状況だが、今回のヨーロッパと日本の連帯に勇気づけられている」と話した

5/23 は難病の日  難病の方は内部障害シンボルセット