2010年
7月30日…緊急転院
■ICU滞在期間は■
・昏睡状態の時間帯があったのか?
・意識不明の時間帯があったのか?
・どの程度の意識レベルだったのか?
□…一切不明…□
なので私の記憶と
当時の
カレンダー
姑の手帳
保存書類
を参考に綴ってみる。
日にち、時間は
かなりランダムである。
つづき
2010年
H22年7月31日
ICU初めての朝を向かえた。
とりあえず目が覚めた。
どうやら、昨日の出来事は
…ドラマ…
ではなかったようだ[]
看護師さんが、ずっと側に居てくれた様子。
夜中のトイレは、
どうしていたのだろう
看護師さんが、抱き抱えるように
後ろから支えて
スプーンで何か食べさせてくれた。
薬も一粒ずつ、慎重に口の中に入れて、飲ませてくれた。
水分は、極端に制限された。
マクドナルドのシェイクのような形の
蓋付きの透明な
プラスチックの容器に
曲がるタイプのストローで少しずつ、水を飲ませてくれた。
容器の中は数センチ程度のわずかな水だった。
それを飲み干してしまうと氷を一粒口に含ませてくれた。
酸素10L./分
(主治医に聞いたICU当初)
酸素マスクのせいか
無性に喉が渇いて
“辛い”[]
女性の栄養士さんが、入って来た。
好きな食べ物や飲み物を聞かれた。
とりあえず
「コーヒー」が飲みたい…とだけ答えた。
「コーヒー」は出せないのですよ…
と優しく伝えられた。
ICU滞在中のメニューは一切覚えていない。
この日は
看護師さんから
いろいろな事を聞かれた記憶。
今、この看護師さんと
2人きり…
静かな
ゆったりとした時が流れていた…。
この看護師さんは
ICU滞在期間中
私の
…専任担当…
ナースさんとなる。
…とても優しい…
目が“クリッと”しているから
『ペコちゃん』だ
・心の美しさ
・情の深さ
・患者の立場に立った看護
・医療技術の高さ
・医療者としての自覚
・判断力
・芯の強さ
・命の尊さを知っている人
…瞬時に私はそれらを
感じ取った…。
そして、彼女は
最後までその
“期待”を裏切らない
…“人柄”…
だった。
年頃は…中堅…
30~40歳位に思えた。
生涯忘れられない
…命の[恩人]…
の一人となる。
私は、それらを感じ
心を許して
全てを打ち明け初めた。
長い間
うつ状態だったので
自ら人との距離を置いて
暮らしていたが
不思議な程
打ち解けて
初めて知り合った
他人を受け入れている
『別の自分』が
“そこに居た。”
『ペコちゃん』は
時折、涙を浮かべ
私の手を「握り」しめて
話しを聞いてくれた。
一通りの話しが終わった頃
[レントゲン]がトコトコ
歩いて来た。
正しく言えば
「ポータブルレントゲン」を
技師さんが
ゴロゴロ押して入って来た。
電動ベッドを起こし
背中に金属製の板のような物を立て掛け
胸側にも板を置いて
身体(胸部)を挟んだ体制で
[レントゲン撮影]をする。
“歩いて来る”
レントゲンがある事を初めて知った。
(※後に、一般病棟に移ってから知った話しだが
この病院は、新築で
まだ1年程しか経っていないそうだ…
その前は敷地内の別の場所に
老朽化した病院が建っていた。
新築に建て替えた時
全ての医療器械を
“最新式”に入れ替えたと聞いた。)
それで
「緊急搬送」当日
猛スピードで入れられた
検査室や検査器械が
アメリカのSF
映画に見えたり
宇宙ステーションに
見えたり
…未来の空間…に
……見えたのだ!
その後も毎日
レントゲンは
ICUにトコトコ歩いて来たし…
[エコー]も[心電図]も
トコトコ歩いて来た。
(何もかも、最新医療器械が一式、導入後…
私はこの病院に『搬送』されて来た。
何ともありがたい
…偶然…だった。
夕方、私の可愛い長男が
ICUに面会に来てくれた。
次男は友達と約束があってそちらを優先したそうだ…
親が[死ぬ]っちゅうのに
(どうも今どきの子の考え方はさっぱり理解できない。[])
長男は顔を合わすと
もう…涙ぐんでいた。
この子は、何かが★になると必ず泣く。
カブトムシの幼虫でさえ泣く。
でも彼は
長年飼ってた
ウサギが★になった時より
母が★になったら
哀しんでくれるだろうか
勝てない
気がする…<
…ナントナク…トホホ…
良い母であった自信が
…無い…<
私は長男に
母の“生きざま”…
私の歴史を語り初めた。
8月1日
『ICU3日目』
次男と長男が揃って来てくれた
[]。
(我が子が2人揃って見舞いに来てくれたのは
入院3ヶ月の期間中
ICU3日目のこの日
たった1回だけ…
しかも長男は、この日以降姿を見せていない
起業と病気に明け暮れて
放ったらかして育てたツケが
今 こうして回って来たのだと…
自責の念でいっぱいになる。
私は前日長男に話した同じ
■…[挑戦と貧乏]…■
■…[起業と闘病]…■
母の“生きざま”
私の歴史を2人の我が子に語り初めた。
話し終えると
左側に座っていた次男にを差し出して、握手した…
それから右側に座っていた長男にを差し出した…
長男は、握手する事を拒んだ…
何の事はない
これ以上が溢れ出る事が
照れくさかっただけなのだろう…
と解釈した。
2人は、席を立ちカーテンの外へ消えようとしていた。
私は
お砂場セットの頃
保育園に迎えに行くと
私を見つけたキミ達が
嬉しそうに一目散に私に向かって走り
力いっぱい抱き着いてきた
あの頃の小さな身体を思い浮かべ
このまま生涯見る事が無いかも知れない
青年に成長した
2人の大きくなった背中を見送ると
深い長い眠りについた…
*追記
その日、お姑さんと主人同行。
ICU2日目に
[主治医]の説明あり
(カレンダーに記載)
入院~緊急転院~ICU3日目までの
[あらすじ]
これにて
[お・し・ま・い]
次回はICUへ戻りま~す
チャン チャン
(キミ達へ
いつの日にか、このブログを真剣に読んでくれる事を願って…
母より)
P.S
今日も来てくれて
ありがとう
さて、単なる私個人の
生きざまですから
読者の皆さんは、全員スルーのつもりで綴った
キミ達に告げる!
・[挑戦と貧乏]
・[起業と闘病]
入院~ICU3日目までの
・[あらすじ]に
思いがけない大勢の皆さんにお越し頂き
感謝感謝感謝感謝
アメーバ[エッセイ部門]
7559人中
ベスト100位入り
(こんな
クダラナイ事で喜んで
毎日
[楽しい]予後を過ごしていきま~す。)
・3月25日
■アクセス数762
53
709
・3月24日
■アクセス数719
99
620
・3月23日
■アクセス数825
116
709
・3月21日
■アクセス数785
190
595
・3月20日
アクセス数■820
141
679
・3月18日
■アクセス数720
221
499
・3月16日
■アクセス数718
195
523
・3月12日
■アクセス数743
139
604
7月30日…緊急転院
■ICU滞在期間は■
・昏睡状態の時間帯があったのか?
・意識不明の時間帯があったのか?
・どの程度の意識レベルだったのか?
□…一切不明…□
なので私の記憶と
当時の
カレンダー
姑の手帳
保存書類
を参考に綴ってみる。
日にち、時間は
かなりランダムである。
つづき
2010年
H22年7月31日
ICU初めての朝を向かえた。
とりあえず目が覚めた。
どうやら、昨日の出来事は
…ドラマ…
ではなかったようだ[]
看護師さんが、ずっと側に居てくれた様子。
夜中のトイレは、
どうしていたのだろう
看護師さんが、抱き抱えるように
後ろから支えて
スプーンで何か食べさせてくれた。
薬も一粒ずつ、慎重に口の中に入れて、飲ませてくれた。
水分は、極端に制限された。
マクドナルドのシェイクのような形の
蓋付きの透明な
プラスチックの容器に
曲がるタイプのストローで少しずつ、水を飲ませてくれた。
容器の中は数センチ程度のわずかな水だった。
それを飲み干してしまうと氷を一粒口に含ませてくれた。
酸素10L./分
(主治医に聞いたICU当初)
酸素マスクのせいか
無性に喉が渇いて
“辛い”[]
女性の栄養士さんが、入って来た。
好きな食べ物や飲み物を聞かれた。
とりあえず
「コーヒー」が飲みたい…とだけ答えた。
「コーヒー」は出せないのですよ…
と優しく伝えられた。
ICU滞在中のメニューは一切覚えていない。
この日は
看護師さんから
いろいろな事を聞かれた記憶。
今、この看護師さんと
2人きり…
静かな
ゆったりとした時が流れていた…。
この看護師さんは
ICU滞在期間中
私の
…専任担当…
ナースさんとなる。
…とても優しい…
目が“クリッと”しているから
『ペコちゃん』だ
・心の美しさ
・情の深さ
・患者の立場に立った看護
・医療技術の高さ
・医療者としての自覚
・判断力
・芯の強さ
・命の尊さを知っている人
…瞬時に私はそれらを
感じ取った…。
そして、彼女は
最後までその
“期待”を裏切らない
…“人柄”…
だった。
年頃は…中堅…
30~40歳位に思えた。
生涯忘れられない
…命の[恩人]…
の一人となる。
私は、それらを感じ
心を許して
全てを打ち明け初めた。
長い間
うつ状態だったので
自ら人との距離を置いて
暮らしていたが
不思議な程
打ち解けて
初めて知り合った
他人を受け入れている
『別の自分』が
“そこに居た。”
『ペコちゃん』は
時折、涙を浮かべ
私の手を「握り」しめて
話しを聞いてくれた。
一通りの話しが終わった頃
[レントゲン]がトコトコ
歩いて来た。
正しく言えば
「ポータブルレントゲン」を
技師さんが
ゴロゴロ押して入って来た。
電動ベッドを起こし
背中に金属製の板のような物を立て掛け
胸側にも板を置いて
身体(胸部)を挟んだ体制で
[レントゲン撮影]をする。
“歩いて来る”
レントゲンがある事を初めて知った。
(※後に、一般病棟に移ってから知った話しだが
この病院は、新築で
まだ1年程しか経っていないそうだ…
その前は敷地内の別の場所に
老朽化した病院が建っていた。
新築に建て替えた時
全ての医療器械を
“最新式”に入れ替えたと聞いた。)
それで
「緊急搬送」当日
猛スピードで入れられた
検査室や検査器械が
アメリカのSF
映画に見えたり
宇宙ステーションに
見えたり
…未来の空間…に
……見えたのだ!
その後も毎日
レントゲンは
ICUにトコトコ歩いて来たし…
[エコー]も[心電図]も
トコトコ歩いて来た。
(何もかも、最新医療器械が一式、導入後…
私はこの病院に『搬送』されて来た。
何ともありがたい
…偶然…だった。
夕方、私の可愛い長男が
ICUに面会に来てくれた。
次男は友達と約束があってそちらを優先したそうだ…
親が[死ぬ]っちゅうのに
(どうも今どきの子の考え方はさっぱり理解できない。[])
長男は顔を合わすと
もう…涙ぐんでいた。
この子は、何かが★になると必ず泣く。
カブトムシの幼虫でさえ泣く。
でも彼は
長年飼ってた
ウサギが★になった時より
母が★になったら
哀しんでくれるだろうか
勝てない
気がする…<
…ナントナク…トホホ…
良い母であった自信が
…無い…<
私は長男に
母の“生きざま”…
私の歴史を語り初めた。
8月1日
『ICU3日目』
次男と長男が揃って来てくれた
[]。
(我が子が2人揃って見舞いに来てくれたのは
入院3ヶ月の期間中
ICU3日目のこの日
たった1回だけ…
しかも長男は、この日以降姿を見せていない
起業と病気に明け暮れて
放ったらかして育てたツケが
今 こうして回って来たのだと…
自責の念でいっぱいになる。
私は前日長男に話した同じ
■…[挑戦と貧乏]…■
■…[起業と闘病]…■
母の“生きざま”
私の歴史を2人の我が子に語り初めた。
話し終えると
左側に座っていた次男にを差し出して、握手した…
それから右側に座っていた長男にを差し出した…
長男は、握手する事を拒んだ…
何の事はない
これ以上が溢れ出る事が
照れくさかっただけなのだろう…
と解釈した。
2人は、席を立ちカーテンの外へ消えようとしていた。
私は
お砂場セットの頃
保育園に迎えに行くと
私を見つけたキミ達が
嬉しそうに一目散に私に向かって走り
力いっぱい抱き着いてきた
あの頃の小さな身体を思い浮かべ
このまま生涯見る事が無いかも知れない
青年に成長した
2人の大きくなった背中を見送ると
深い長い眠りについた…
*追記
その日、お姑さんと主人同行。
ICU2日目に
[主治医]の説明あり
(カレンダーに記載)
入院~緊急転院~ICU3日目までの
[あらすじ]
これにて
[お・し・ま・い]
次回はICUへ戻りま~す
チャン チャン
(キミ達へ
いつの日にか、このブログを真剣に読んでくれる事を願って…
母より)
P.S
今日も来てくれて
ありがとう
さて、単なる私個人の
生きざまですから
読者の皆さんは、全員スルーのつもりで綴った
キミ達に告げる!
・[挑戦と貧乏]
・[起業と闘病]
入院~ICU3日目までの
・[あらすじ]に
思いがけない大勢の皆さんにお越し頂き
感謝感謝感謝感謝
アメーバ[エッセイ部門]
7559人中
ベスト100位入り
(こんな
クダラナイ事で喜んで
毎日
[楽しい]予後を過ごしていきま~す。)
・3月25日
■アクセス数762
53
709
・3月24日
■アクセス数719
99
620
・3月23日
■アクセス数825
116
709
・3月21日
■アクセス数785
190
595
・3月20日
アクセス数■820
141
679
・3月18日
■アクセス数720
221
499
・3月16日
■アクセス数718
195
523
・3月12日
■アクセス数743
139
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