『キミ達に告げる!』
[第2部]
◆起業と闘病◆時代編
〈始まりぃ~始まりぃ~〉
『お茶しようよぉ~』
月曜から金曜まで
ほぼ毎日、隣の奥さんがやってくる。
もう何年間、この限りなく
ムダな
を過ごしているのだろう…。
ふぅ…
平成3年
結婚当初から住んでいた、
川崎駅前の公団マンションの
まん前に
『明治製菓』所有の老朽化した工場が建っていた。
その工場を解体して
大規模なビルに建て替える計画が進み
建て主側から公団住民に対する、建築説明会が
何度も開催された。
住民の感心は深く、多数の参加者が集まっていた。
話の内容は
・公団が、1日中陽が当たらなくなり
日中でも真っ暗になる事。
・解体工事に際して、人体に悪い“アスベスト”が飛び散る事。
・工事期間が長く、相当の
騒音に耐えなければならない事。
・公団窓とオフィス窓が真向かいになり
直近距離で、住民のプライバシーが丸見えになる事。
などの説明で
特に赤ちゃんや幼児を持ち
1日中住まいの中にいなければならない家族は
続々と引っ越して行った。
我が家も、遅ればせながら引っ越す事にした。
そこで、キミ達が今住んでるに
引っ越して来た訳だ。
お兄ちゃんが2歳…
次男のキミはまだ存在してなかった。
新しいは、坂(丘)の上に建ち…
3棟、同時に“新築”したばかり…。
畳に例えたら30畳もの広さの
白い木のテラス…
広大に180度拡がる、
素晴らしい眺望…。
まるで、リゾート地の
“ペンション”のようだった。
後のページで出てくる
…“リゾート大好き”…
人間の私は、一でここに決めた
同時に、引っ越して来たのが隣の奥さん
奥さんと私は、同じ年
子供もお互い男の子1人
子供の年も近い…
私達は、出会ってすぐ親しい友達になった。
奥さんのは
損保会社の代理店をやっていて
旦那さんは
バリバリの営業マン
奥さんも、専従者になっていたから子供は
保育園に預けていた。
ママさんバスケに入る程
“超健康”で手際の良い人だった。
それに引き換え、私ときたら
毎日ダルい…後に…
…『慢性疲労症候群』…と
…診断…。
以降⇒この
…病気…を
■…子泣爺…■
(こなきじじい)と呼ぶ
いつも、フラフラ~よろよろ~
寝たり起きたりしながら暮らしてた。
奥さんは、サッサか午前中に家事を済ます。
こちらは、フラフラ~よたよた~やっとの思いで
起き上がり
何か口に入れ、
掃除機を動かす体力もなく…
ふらふら~ダスキンで掃き掃除を始めると…
もう
ピン~ポ~ン
『お茶しようよぉ~』
っと、やって来る
奥さんは、必ず電話機の子機持参で来る。
隣なので、親機の電波が届くんだ!
(※当時、携帯は、中高生の2段重ねの弁当箱サイズの
デカイ・重い・高価
・電波途切れる
があるには、あったが…
普及しなかった。)
奥さんは、我が家がオフィスだったのか
今日も明日もあさっても
毎日何杯も
ドリップcoffee入れて…
ドーでもいい話しが迄
延々…続いてた。
話題が尽きて終うと
2人でドーでもいいを眺めて
貴重な1日が過ぎて行く。
昼過ぎるとすぐに来て
保育園のお迎えまで
…エンドレス…
こんな日々が何年も続いていた。
そして、すかさず
さすがバリバリ営業マンの奥さんだ
気が付くといつの間にか
奥さんの損保に
月7万円も入ってた。
人は良いお方だったが…
こんな日常から抜け出すには何か
「私は忙しいのだ」
「ドーでもいい話しをしている
暇なぞありゃしない」
一応我が家も自営業で
事業の経理もせねばならない…!
…が、それだけでは通じない。
確かな
…証し…を
見せねばならない
こう
ムダ話しが何年も続くと…
いい加減、
充実した日が恋しくなっていた。
平成4年4月に
キミ達の父が28で独立した時も
一緒に事業を拡大して
…何かやり遂げたい…
っと言う
…熱い思い…
が込み上げていたが
『俺の仕事に口出すな』
っとあっさり拒否され…
トホホ…っと
情けない気持ちに凹む
そんな日常の中で
中小企業の自営業者が会員の
会報に掲載されていた
・松下電器の創設者やホンダ
・サントリー・カゴメ…
他“企業創設”話のページは
毎号楽しみだった。
私はなぜか
…ワカラナイ…が
0から物事を“試行錯誤”して
チャレンジをし続け…
サクセスしている人が好き
★OL時代も女性企業家の
事業立ち上げの本を
何冊か購読していた程だった。
特に何がやりたいかは
なぁ~んにも思いつかないで
…ただ“漠然”と…
■…起業…■に対する
憧れのような“淡い思い”は
若い頃から心の奥深く
密かに眠っていた。
※上記をキミ達に
分かりやすくまとめて話せば…
社長になりたいわけではなく…
作詞・作曲のように…
…な~んにもない…
ところから…(0から)
…作品…
を作りあげて行く
…創造…
して行く世界に
…再度挑戦…してみたく
なったんだ
そんな事を考えていた
ある日、その会報で
……
にしたのが
私の故郷
…猪苗代湖…と
…会津磐梯山…
が輝いて
写し出された
…広告…だった
[第2部]
◆起業と闘病◆時代編
〈始まりぃ~始まりぃ~〉
『お茶しようよぉ~』
月曜から金曜まで
ほぼ毎日、隣の奥さんがやってくる。
もう何年間、この限りなく
ムダな
を過ごしているのだろう…。
ふぅ…
平成3年
結婚当初から住んでいた、
川崎駅前の公団マンションの
まん前に
『明治製菓』所有の老朽化した工場が建っていた。
その工場を解体して
大規模なビルに建て替える計画が進み
建て主側から公団住民に対する、建築説明会が
何度も開催された。
住民の感心は深く、多数の参加者が集まっていた。
話の内容は
・公団が、1日中陽が当たらなくなり
日中でも真っ暗になる事。
・解体工事に際して、人体に悪い“アスベスト”が飛び散る事。
・工事期間が長く、相当の
騒音に耐えなければならない事。
・公団窓とオフィス窓が真向かいになり
直近距離で、住民のプライバシーが丸見えになる事。
などの説明で
特に赤ちゃんや幼児を持ち
1日中住まいの中にいなければならない家族は
続々と引っ越して行った。
我が家も、遅ればせながら引っ越す事にした。
そこで、キミ達が今住んでるに
引っ越して来た訳だ。
お兄ちゃんが2歳…
次男のキミはまだ存在してなかった。
新しいは、坂(丘)の上に建ち…
3棟、同時に“新築”したばかり…。
畳に例えたら30畳もの広さの
白い木のテラス…
広大に180度拡がる、
素晴らしい眺望…。
まるで、リゾート地の
“ペンション”のようだった。
後のページで出てくる
…“リゾート大好き”…
人間の私は、一でここに決めた
同時に、引っ越して来たのが隣の奥さん
奥さんと私は、同じ年
子供もお互い男の子1人
子供の年も近い…
私達は、出会ってすぐ親しい友達になった。
奥さんのは
損保会社の代理店をやっていて
旦那さんは
バリバリの営業マン
奥さんも、専従者になっていたから子供は
保育園に預けていた。
ママさんバスケに入る程
“超健康”で手際の良い人だった。
それに引き換え、私ときたら
毎日ダルい…後に…
…『慢性疲労症候群』…と
…診断…。
以降⇒この
…病気…を
■…子泣爺…■
(こなきじじい)と呼ぶ
いつも、フラフラ~よろよろ~
寝たり起きたりしながら暮らしてた。
奥さんは、サッサか午前中に家事を済ます。
こちらは、フラフラ~よたよた~やっとの思いで
起き上がり
何か口に入れ、
掃除機を動かす体力もなく…
ふらふら~ダスキンで掃き掃除を始めると…
もう
ピン~ポ~ン
『お茶しようよぉ~』
っと、やって来る
奥さんは、必ず電話機の子機持参で来る。
隣なので、親機の電波が届くんだ!
(※当時、携帯は、中高生の2段重ねの弁当箱サイズの
デカイ・重い・高価
・電波途切れる
があるには、あったが…
普及しなかった。)
奥さんは、我が家がオフィスだったのか
今日も明日もあさっても
毎日何杯も
ドリップcoffee入れて…
ドーでもいい話しが迄
延々…続いてた。
話題が尽きて終うと
2人でドーでもいいを眺めて
貴重な1日が過ぎて行く。
昼過ぎるとすぐに来て
保育園のお迎えまで
…エンドレス…
こんな日々が何年も続いていた。
そして、すかさず
さすがバリバリ営業マンの奥さんだ
気が付くといつの間にか
奥さんの損保に
月7万円も入ってた。
人は良いお方だったが…
こんな日常から抜け出すには何か
「私は忙しいのだ」
「ドーでもいい話しをしている
暇なぞありゃしない」
一応我が家も自営業で
事業の経理もせねばならない…!
…が、それだけでは通じない。
確かな
…証し…を
見せねばならない
こう
ムダ話しが何年も続くと…
いい加減、
充実した日が恋しくなっていた。
平成4年4月に
キミ達の父が28で独立した時も
一緒に事業を拡大して
…何かやり遂げたい…
っと言う
…熱い思い…
が込み上げていたが
『俺の仕事に口出すな』
っとあっさり拒否され…
トホホ…っと
情けない気持ちに凹む
そんな日常の中で
中小企業の自営業者が会員の
会報に掲載されていた
・松下電器の創設者やホンダ
・サントリー・カゴメ…
他“企業創設”話のページは
毎号楽しみだった。
私はなぜか
…ワカラナイ…が
0から物事を“試行錯誤”して
チャレンジをし続け…
サクセスしている人が好き
★OL時代も女性企業家の
事業立ち上げの本を
何冊か購読していた程だった。
特に何がやりたいかは
なぁ~んにも思いつかないで
…ただ“漠然”と…
■…起業…■に対する
憧れのような“淡い思い”は
若い頃から心の奥深く
密かに眠っていた。
※上記をキミ達に
分かりやすくまとめて話せば…
社長になりたいわけではなく…
作詞・作曲のように…
…な~んにもない…
ところから…(0から)
…作品…
を作りあげて行く
…創造…
して行く世界に
…再度挑戦…してみたく
なったんだ
そんな事を考えていた
ある日、その会報で
……
にしたのが
私の故郷
…猪苗代湖…と
…会津磐梯山…
が輝いて
写し出された
…広告…だった