つづき
[第1部]
シンガーソングライターになる“夢”
を追いかけた頃
■…サクセス=挑戦と貧乏…■
[最終回・前編]
超オンボロ下宿とランクした
アパートから
どんなバイトをしていたのか…?
っと言うと…
京王レストラン
井の頭線渋谷駅構内
改札口隣…京王電鉄経営
東京でのバイトはここからスタート⇒した。
兄の大学仲間が元、ここでバイトしていたので、親切に連れて行ってくれた。
かなり広いホール。
京王電鉄系の社員数名…
後は全員、大学生のバイト。
自宅から通っている子は誰もいなかった。
上京してアパート暮らしの
“苦学生”ばかり…。
ホールが広かったので、かなり大勢いた。
慶應大~三流大まで様々だ。
時には劇団の俳優さんの卵とか…。
東京で“貧乏生活”している人ばかり…。
バイトはみんなホール担当。
(ウェーター・ウェートレス)
ここの最大の特典は
店長が会社と交渉して、
毎日2食の賄い(無料)付きだった事。
だから食べる事に困らなかった。
いろんな大学の子が入り交じっていて、楽しかった。
学校か
ここでバイトしているか…どちらかの生活だった。
休日は存在しない暮らしだ。
老朽化の為ビル解体。
仕方なく辞めた。
時給550円
→かなり経って10円
学生街の喫茶店
井の頭線明大前駅前
お客は明大の男子学生がほとんど…。
バイトは20代前半の女の子
4~5名で早番・遅番で交代制。
私は早番。
その後もバイト
…2件掛け持ち…
5時迄→明大前~ダッシュして
永福町のバイトへ走る
6時からバイトの
ラーメン屋に直行。
賄いは毎日トーストセット
(無料)
時給600円
常連客の中に、私のファンの男子学生が何人もいた。
レジ前でメモや手紙、
ネックレス等のアクセサリー…。
文学小説や詩集の文庫本…色々…。
サッっと渡して逃げて行く…
学校でもバイト先でも結構
モテていた…
後に…“ブンブクリン”の首なし
『カピバラ』
おばさんになるなんて…。
当時、誰も想像できなかっただろう… プッ
■安田成美■
にはかなわなかった
…が… プッ
騙されたのは…
キミ達の父だけだった
母の宛名
…親方…“オヤカタ”…プッ
屋。
井の頭線永福町
どんぶりから中華~定食迄…
何でも美味しい店だった。
6時~夜10時迄。
メニューの中から食べたい物を毎日自由に選べる
賄い付き。(無料)
時給550円
食べ終わると
猛烈にダッシュして
アパートに戻り、風呂セットを持って又
猛烈にダッシュして
11時10分前に銭湯に到着。
銭湯は11時迄なので、毎日私がラストの客だった…。
身体を洗っていると
銭湯のおじさんが
掃除を始める事が多々あった。
……
音楽学校では、1週間に1度
作詞科…1作品
作曲科…1作品を提出しなければならなかった。
なので、それから深夜に
作詞・作曲をしていた。
深夜なので、生ギターは弾けない。
ベッドホーンで消音できるキーボードの中古を
有り金叩いて、知人から買った。
7万円だった。⇒後に
14万の新商品に買い替え!
ピアノは経験が全くないので、
独学で必要程度のコードは覚えた。
そして、短期間だが知人に
渋谷の
…生ピアノ練習貸しルーム…で
を払いピアノを習い、
レベルアップさせた。
研究科に進むと、1週間に1曲
…“デモテープ…”を提出しなければならなかった。
キーボードはドラムマシンや他の楽器の音が出るタイプのものだったので
…“デモテープ…”
作りに役立った。
その頃…
『容子先生』は
「胃に穴が空いたぁ~」
っと言って療養の為に
実家に帰ってしまった…。
みんなで、
送別会をした時
カラオケで
『舟歌』を歌ってくれた。
さすがに
世界歌謡祭
歌唱賞
だ
[めん……たま]飛び出る程…
超うまかった!
そして、私は
ボーカル研究科へ進む事を辞め
作品作りに専念した。
…猛烈に…
…バイト…
真夜中に作品作りに邁進して…
ひたすら
…一生懸命…
…生きていた…
P.S
喫茶店ってなあに?
このブログを見てる
12歳の子へ…
カフェの事…
今の、マックとかミスドみたいに飲む店…
でも雰囲気は、かなり違うよ
おばちゃんの文章意味分かる
貴女のママより“レトロ”
さて、果たして
プロミュージシャンに
なれたのか…
後編につづく
ここでキミ達に問題です!
母のバイト選びには
共通点があります!!
それは何でしょうか?
そうです!食事を無料で食べさせてくれる
バイトばかり選んだのです
だから、スケベなおじさんが来る店で働く事なく
親に負担もかける事なく
大都会で、音楽の勉強と
健全な生活が、出来たのです
今日から2月です。
東北ではが山のように
積もっているそうです。
母より
[第1部]
シンガーソングライターになる“夢”
を追いかけた頃
■…サクセス=挑戦と貧乏…■
[最終回・前編]
超オンボロ下宿とランクした
アパートから
どんなバイトをしていたのか…?
っと言うと…
京王レストラン
井の頭線渋谷駅構内
改札口隣…京王電鉄経営
東京でのバイトはここからスタート⇒した。
兄の大学仲間が元、ここでバイトしていたので、親切に連れて行ってくれた。
かなり広いホール。
京王電鉄系の社員数名…
後は全員、大学生のバイト。
自宅から通っている子は誰もいなかった。
上京してアパート暮らしの
“苦学生”ばかり…。
ホールが広かったので、かなり大勢いた。
慶應大~三流大まで様々だ。
時には劇団の俳優さんの卵とか…。
東京で“貧乏生活”している人ばかり…。
バイトはみんなホール担当。
(ウェーター・ウェートレス)
ここの最大の特典は
店長が会社と交渉して、
毎日2食の賄い(無料)付きだった事。
だから食べる事に困らなかった。
いろんな大学の子が入り交じっていて、楽しかった。
学校か
ここでバイトしているか…どちらかの生活だった。
休日は存在しない暮らしだ。
老朽化の為ビル解体。
仕方なく辞めた。
時給550円
→かなり経って10円
学生街の喫茶店
井の頭線明大前駅前
お客は明大の男子学生がほとんど…。
バイトは20代前半の女の子
4~5名で早番・遅番で交代制。
私は早番。
その後もバイト
…2件掛け持ち…
5時迄→明大前~ダッシュして
永福町のバイトへ走る
6時からバイトの
ラーメン屋に直行。
賄いは毎日トーストセット
(無料)
時給600円
常連客の中に、私のファンの男子学生が何人もいた。
レジ前でメモや手紙、
ネックレス等のアクセサリー…。
文学小説や詩集の文庫本…色々…。
サッっと渡して逃げて行く…
学校でもバイト先でも結構
モテていた…
後に…“ブンブクリン”の首なし
『カピバラ』
おばさんになるなんて…。
当時、誰も想像できなかっただろう… プッ
■安田成美■
にはかなわなかった
…が… プッ
騙されたのは…
キミ達の父だけだった
母の宛名
…親方…“オヤカタ”…プッ
屋。
井の頭線永福町
どんぶりから中華~定食迄…
何でも美味しい店だった。
6時~夜10時迄。
メニューの中から食べたい物を毎日自由に選べる
賄い付き。(無料)
時給550円
食べ終わると
猛烈にダッシュして
アパートに戻り、風呂セットを持って又
猛烈にダッシュして
11時10分前に銭湯に到着。
銭湯は11時迄なので、毎日私がラストの客だった…。
身体を洗っていると
銭湯のおじさんが
掃除を始める事が多々あった。
……
音楽学校では、1週間に1度
作詞科…1作品
作曲科…1作品を提出しなければならなかった。
なので、それから深夜に
作詞・作曲をしていた。
深夜なので、生ギターは弾けない。
ベッドホーンで消音できるキーボードの中古を
有り金叩いて、知人から買った。
7万円だった。⇒後に
14万の新商品に買い替え!
ピアノは経験が全くないので、
独学で必要程度のコードは覚えた。
そして、短期間だが知人に
渋谷の
…生ピアノ練習貸しルーム…で
を払いピアノを習い、
レベルアップさせた。
研究科に進むと、1週間に1曲
…“デモテープ…”を提出しなければならなかった。
キーボードはドラムマシンや他の楽器の音が出るタイプのものだったので
…“デモテープ…”
作りに役立った。
その頃…
『容子先生』は
「胃に穴が空いたぁ~」
っと言って療養の為に
実家に帰ってしまった…。
みんなで、
送別会をした時
カラオケで
『舟歌』を歌ってくれた。
さすがに
世界歌謡祭
歌唱賞
だ
[めん……たま]飛び出る程…
超うまかった!
そして、私は
ボーカル研究科へ進む事を辞め
作品作りに専念した。
…猛烈に…
…バイト…
真夜中に作品作りに邁進して…
ひたすら
…一生懸命…
…生きていた…
P.S
喫茶店ってなあに?
このブログを見てる
12歳の子へ…
カフェの事…
今の、マックとかミスドみたいに飲む店…
でも雰囲気は、かなり違うよ
おばちゃんの文章意味分かる
貴女のママより“レトロ”
さて、果たして
プロミュージシャンに
なれたのか…
後編につづく
ここでキミ達に問題です!
母のバイト選びには
共通点があります!!
それは何でしょうか?
そうです!食事を無料で食べさせてくれる
バイトばかり選んだのです
だから、スケベなおじさんが来る店で働く事なく
親に負担もかける事なく
大都会で、音楽の勉強と
健全な生活が、出来たのです
今日から2月です。
東北ではが山のように
積もっているそうです。
母より