今回の一連の件は自分の中に初めて「離婚」という
言葉が芽生えた大事件だった。


あの時の自分は取り乱しているけれど
言ってることは至極まっとうで相手に伝わるように
話しているつもりでいた。


立場を置き換えて理解させる手法は
今にして思えばとてもまわりくどいやり方で
最短距離で伝えようとしていた言葉は
今にして思えば旦那を追い詰めるだけの言葉だった。
普段から喋り下手なのもいけないが…。


今こうして振り返って文章にすることで
見えなかった部分、冷静でなかった自分
今だからこそ見える景色がある。
旦那に対して理不尽に思う気持ちも蘇ったが(笑)
自分の女の汚い部分を目の当たりにし
今更落ち込んだり赤面したりする部分もあった。
でもこれ、たった3ヶ月前の出来事なんだよね…。
あぁもう!!


でもこの一件で気付けたことは沢山あったし
旦那に対する理解度もかなり上がった気がする。
自分的には「雨降って地固まる」という言葉がしっくり。
旦那は相変わらず何も言わないのでどう思ってるか
さっぱりわからないが…。


妊娠期は(って今もそうだが)どうしても嬉しいことも、
悲しいこともスイッチが簡単に深く入りやすくなってしまう。
だからこそ胎動一つで大喜びできたり、
逆に旦那に対して許せなくなることができたり。


そして許せない出来事で自分がつらくなったとき、
「自分一人なら耐えられるけどお腹の子を思うと…」
と自己正当化するためのいい言い訳も言葉は悪いが
便利なことにすぐそばに用意されている。
そして間違いなく自分は自分の行動に
その言い訳を使っていた。


ありがたいことに周りのフォローや、落ち着いた時間、
そして急転直下物事を考えられないだけの忙しい時間、
帰ってからの何時間にも及ぶ話し合い、様々な要因で
自分たちは離婚という危機は免れることになった。


もしかしたら旦那はそんなこと全く思っていなくて

自分一人で離婚離婚と深刻に考えていて

自分一人で踊り終わっただけかもしれないが…。


もしもこれを読んでくれている人の中に
これから離婚を考えているが子供は産み育てようと思っている
妊婦さんがいらっしゃれば、自分は出産まで離婚という
大事な結論は保留した方がいいと思う。


保留した上で別居したってもええと思うねん、
一言も話さんかってもええと思うねん(何故に関西弁…)

その間にもしかしたらたいしたことじゃないって
思えるようになっているかもしれない。
そのときは耳に入らなかった旦那の言葉の意味を
理解できる日が来るかもしれない。


そして奥さんに色々と不満をぶつけられている
旦那さんがいらっしゃれば、その奥さんの不満は
妊娠期のうわごとではないと認識していて欲しい。


確かに感情のスイッチは入りやすくなっているけれど
思ってもいないことまで口にしたりはしない。
少し大袈裟になっているかもしれないが間違いなく
あなたの奥さんが持っている不満や不安なのだ。


そして感情のスイッチが入りやすくなっているということは
裏返せばその言葉に対して誠実に対応してくれれば
行動以上の満足を奥さんに与えることができるということ。


「妊娠前から俺は変わってない」は妊娠中には
通用しないということを心のどこかにおいておいてほしい。
奥さんの気持ちが切れてしまってからでは遅いのだ。


色々夫婦の事情はあるとは思うけれど、
赤ちゃんにとって一番幸せなのは円満な夫婦の下に
産まれることだと思うので。


偉そうなこと言ってごめんなさい。
たまたま自分の場合は上手くいっただけかもしれないし
もしかしたらこんなこと言って明日になったら
離婚しているかもしれない…とか言うと怒られそうだが。
でもこれが今思うことで、全ての人に幸せな出産を
迎えて欲しいと願っています。




アップ明日からはまたおばかなこゆいにんに戻ります。
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~2007.08月のお話~


東京に帰って旦那の看病。
会社からは7月一杯休めといわれたらしいので
そのとおり休養。
そのおかげで体調もある程度回復する。


回復したところを狙って色々と話し合い。
帰ってからこっち色々と旦那なりに気配りを
してくれるシーンも出てきた気がする。
ともかく、話し合いは数時間に及んだが
仲直りには成功した。


8月に入り出社してみると
本社から休みすぎなのでバイトに降格という
お達しがでたと上司より通告を受ける。

実質上の減給。
その給料では生活できないからと退社。


次の職が早く決まるといいが…。

不安はあったが二人でなんとか乗り越えようと

決意は固まっていた。


2007.10.26
ちゃんと仲直り…しましたよ?(笑)




アップ休めといわれて休んだら減給って
どんな会社だよと怒りのクリックおねがいします。

~2007.07月のお話~


実家に来て1週間、旦那が倒れる。


病院に自力でいけるだけの力はあるものの
声も出せない会社にも行けない状態だった。
その症状は一日寝たくらいでは治らず、
翌日も会社を休むこととなった。
発作が出ていないときには日常生活を
何の問題もなくすごすことができる持病もち
ということもあり、たまらなく心配になる。


欠勤連絡は代わりにし、会社から本人より

連絡させるように伝言承ったので

本人にメールで伝えたら、しばらくして

会社に電話をした、と報告の電話がかかってきた。

看病しなければ食事も取れないレベルなのか

なんなのか全く向こうの状況が読めなかったため

自分は東京に戻った方がいいのか判断を仰ぐ。


2007.10.25

わかりづらい!!むかっ

弱ってるときくらい素直になれ!

(いや、お互いにね…。)


帰ったときに戌の日のお祝いを親から貰っていたので
そのお金で東京に戻る。


いや、来るときも帰るときも唐突ですまないです両親。




アップ自分の中で折り合いがつかないまま無理やり東京へ。
しかしいじっぱり夫婦、こういうきっかけがないと
なかなか踏み出せなかったんじゃないかと
今になっては思う。不謹慎だが。
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久々の1日2回更新。


~2007.07月のお話~


昔、声優事務所に所属していたころの話。
小さいタイトルの大きな役をやらせてもらったことがあった。
プロとしての経験もまだそんなになく、役を作ることにも
まだ迷いが多分に自分の中にあった。

そんな迷いを断ち切るために「この役に選ばれたということは
自分の芝居、声がこの役にあっているという判断をされたからだ」
と思い込むことで思考を止めた。

当時は芝居をかためていくために迷いを振り切ったと思っていたが
要するにプレッシャーから逃げるという一番楽な選択をしたに過ぎない。



2007.10.24


その仕事ではあまり駄目出しはされなかった。
けれどあとから見るととても酷い芝居だった。


なぜ選ばれたのかわからない不安と駄目出しを貰えない不安。
にっこり笑ってお疲れ様と挨拶をして別れて
二度と呼ばれなくなる建前と本音の錯綜する世界だと
理解した上でも本音をぶつけてくれない一抹の寂しさ。
そもそも本当に自分はそこにたどり着くまでに
最高の準備が出来ていたのかという不安。


ここ数日前の出来事はそんな数年前を思い出させる。


実家に帰ることで自分を見つめるいいきっかけには
なったような気がする。
旦那からは日常生活報告のメールが毎日届いていた。




アップ声優時代、好きだから続けられたけど

帰り道意気揚々としていた現場は一つもなかった。
常に帰り道から一人反省会でしたわ。
あぁ、懐かしさと恥ずかしさと心強さと。
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~2007.07月のお話~


ここ数日空気が重い話が続いてるので軽い話をば。
親が自分にかけている保険の姓変更の手続きのため

保険会社の事務所に行ったとき。


2007.10.23

やばい!母親!輝くほどにオイシすぎる!!


この笑いへのテンポと容赦のなさで

大阪に帰ってきたということをとてつもなく実感した。


でも確かにうちの母親、痩せ体型なのに

下腹だけが出っ張ってて妊娠中期くらいに

見えなくもないんだ…正直な話。

…って実の娘が一番酷いこと言ってるよ。




アップ地域によっては大クレームに発展するんだろうなあ。

大阪だからこそ笑い話になるんだと思った。
いや、外交員のおばちゃん、笑わせてもらったよ。
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