初めまして!
足のこゆびのトレーニングで美容も医療も追求していく整体師×トレーナーとして活動しています。「こゆび先生」こと樫村瑞生(かしむらみずき)です!
アメブロを通して皆様に「今」から使える健康や美容に関する情報や僕の日々の何気な〜い日常を届けていきます!
今回は自己紹介ということで、今の樫村瑞生が作り上げられた過程をお話しして皆様に少しでも知ってもらえたら幸いです!
1995.7.27
茨城県にある樫村ふぁーむという【オーガニック農家】の5男として産まれました。
東京ドーム数個分もある土地を1代で作り上げた父親「健司」僕の祖父は被爆者で「じいちゃんは農薬がかかった野菜を食べて体を悪くした」そんなことから親父が19−20に農協から借金をして「野菜づくりは土づくりから、安心安全で美味しい野菜を作る」そんな思いで作り上げたそうです。
そんな職人気質な親父の背中を見て育ってきたので、研究熱が常に強くなりました。
素晴らしいことをしている親父でしたが、お金に満たされることはなく、朝6時から夜は24時まで家族全員で働いてもお金のことで揉めたりするのを見ていて「絶対プロ野球選手になって契約金で家族を楽させる!」と決心して野球漬けの毎日を送りました。
ですが実際はプロ野球選手にはなれていません。
高校3年で諦めました。
中学2年の夏が来る少し前、「カラダが重くて思うように動かせない、、、」
今まで感じたことのない感覚になりました。
そこから全力疾走が少しずつできなくなり、中3の夏には全力疾走をいきなりするとカラダや顔に勝手に力が入り、捻れて歪むようになりました。
それでもなんとか隠して高校も特待の枠を勝ち取りお金がかからず私学で野球をすることができました。
なんとか隠しながら、隠せなければ笑われながらがむしゃらに野球を頑張りました。
病院に行って診断がされたのは高校2年生の時でした。
【運動性ジストニア】
神経の通り道でエラーが起きて体が勝手に反応してしまう神経難病でした。
「今の医療では治すことは難しい。これからどうなるかもわからないから付き合っていくしかない」
絶望しました。
野球しかない自分の人生で「なんで俺なんだろう」
高校3年の夏になると試合中にキャッチャーからピッチャーマウンドに行くまでにカラダが捻れてしまいました。
「これはもうだめだ」
諦めてしまった瞬間でした。
夏の大会をやりきり進路の話になり
監督から「いくつか話がきているがどうする?」
僕は「引退します。実は神経の難病で動けなくなるということでした。」
と、大好きだった野球に自分で終止符を打ちました。
心に穴が開きました。
樫村瑞生物語第1章はこれにて終了。
次の投稿ではトレーナーや整体師になるまでをお届けします!
最後に2018年の時の大切な家族写真で!
普段は甥っ子姪っ子が11人もいるおじ馬鹿なおじさんをしていますw
こんな私ですがこれからよろしくお願いします!!