新潮45の廃刊をどう考えるか | ゆうなっち研究所!!

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世の中の真実について考えるのです

ペットロスからようやく回復・・ってことは永遠にありえないんだけど

当たり前にあったものがなくなるのは、魂を失うようなものですね

そういえばまゆゆ、さや姉に引き続いてさっしーも遂に卒業だそうですね

時は流れてゆくものです

始まりがあれば終りがある

ISDNもLANケーブルもなくなってしまった
今はWi-Fiで姿も形もない

新潮45という雑誌がありましたが廃刊してしまいました

たまにいますよね

批判されると、私がいなくなればいいんでしょっ!!とか言い出して
どこかへ走っていってしまう・・・

そんな女を思わせますね

やめればいいんでしょ!やめれば!みたいな・・

売れないと編集部もやる気をなくして、イチかバチかで勝負しにいってしまう
ヤケクソになって、よくわからない言論を集めてきて、これでいいんだろ!
こんなのが読みたいんだろ!!みたいな

最初から廃刊することを織り込み済みだったとしかいいようがありません

だけど言論誌などというものは、有志のカンパによって貧乏しながら発行するもので、
出版社がお金持ちになって、売れ行きを気にし始めたら、もう終わりの始まりなのであります

出版人がお金持ちになったらおしまいなのです

古き良きやくざでなければならないのです

言論誌は世の中が穏やかになるほど読む人が少なくなるのでありますから、
どんどん消えればいいのです