ヒロインの物語♪ | ゆうなっち研究所!!

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世の中の真実について考えるのです

(1)支配者は全てを動員する

「おっさん」という言葉がありますがそもそもは仏教用語で
尊敬語であったらしいのです

あのひとは素晴らしいおっさんだ、という用法だったらしい

あ、おっさんが来た!と若い衆たちが神妙になって襟を正していたらしい

「哲学者」というのはかつては哲学者()と言うニュアンスで侮蔑語であったらしい

あの人は哲学者だwwと言ってイジっていたらしいのです

よお哲学者さん!みたいな

皇帝とか国王様というのも、どうもそういうものらしく
そりゃないわ陛下ぁ~~!みたいな扱いだったようなのです

でもある時皇帝がブチ切れて「かかってこい!」と

そういった力関係というのは黙っているうちは、従っているうちは延々維持されてしまう

支配とかイジメというものは戦争と同じ、というか一種の戦争でありますから
すべてのものを動員するのであって、それが性差であったり、
家柄だったり身長だったり民族だったり・・・因縁などいくらでもつけられる

女性であることで差別されている人が神様の力で男性になったとて
差別者は別の理由をつけて差別というか、イジメを続行するのです

また逆に差別されていると主張する人たちは、手の合わない相手が存在する限り、
相手が屈服するまで延々と言い続けるのです

(2)美女と野獣

なぜか美女は信用されやすい

それは教育の成果であって幼少時から美女がヒロインの物語を読み聞かせられて洗脳されるからです

更に学校という異常・無法地帯で、そういう役割が与えられ、
差別的傾向が強化されていくのです、クラス管理という支配に便利だからです

女性特有の母性保護に関する既定というのは将来の徴兵制を見据えているのかどうか、
それはわかりませんが、たとえば労働法におけるいわゆる有害業務に関する既定だとか・・、
着々と排除されていってはいる

それがいいことなのかどうなのか、全然まだわからないのです

見栄えが良くて高学歴者でないといわゆる「女子アナ」にはなれない

子育てを終えた40代、50代の方々が新人アナとして採用されることは
まずありえません

美女と野獣は映画や舞台になりますが醜女と王子という物語は存在し得ない

世間は差別が大好きなのです

というか世の中における全ての関係性は差別を伴うのです

(3)全ては実験

社会実験の途中と言えば、欅坂のてちさんが、大事な公演に出られない
エースが大事な公演に出られない、これは団体としての危機であり、非常事態ですね

こういう事態に陥ることをある程度想定してスケジュールが組まれているらしく、
それはひとつの実験と称されているようです

てちさんの起用のされ方について、児童に対する搾取労働、奴隷労働の気配すら懸念されるわけですが
そこはマスコミに不思議な力が働くのか、指摘されることはありませんね

それはケヤキッズとしては複雑な気持ちです

運営が批判されるのはいいけど、とばっちりでグループやメンバーが妙な批判されても気の毒だ

フェミニズムからすれば恋愛禁止よりもこれこそ攻撃しやすい、
むしろすべき場面のようにも思えなくもない

だけど勢いのあるうちはなんでも押し通せるから、この苦難をメンバーの団結で乗り切った、
という物語にもっていける

チケット代損したような気がしていても、伝説の参加者としてドキュメンタリー映画に
ちょっと映ったりして、この日参戦したんだよな、あの日てちいなかったんだよな、
というところで埋め合わせされる

と考えれば勝算のある実験と言えなくはない

どのみち女は土壇場で必ず女が出るもので
女に生まれて女で死んでいくその宿命からは逃れられない

三浦瑠麗先生もねえ~

なんかの楽屋で上西小百合議員を前にしてヘタレて声かけられなかった時点で
なんかジョイントが甘いんですよね
東京モンはいつだって土壇場でお行儀がいいんだ

だけど時の政権に逆らってシノギをするのは非常に難しいことです

政権批判をこれだけ繰り返して国税送り込まれたり干されたりしないのは
よしりん先生だけなのです