「あの人は変わっている」。しばしば日常会話に登場する人物形容ですが、村議選も近い長生村、某候補を評した住民の声として聞き及びました。なんだか私も、そう言われていそうですけど・・・・。

 

私はその候補を知らないので述べることはありません。ただここで気になったのは、「あの人は変わっている」とネガティブに語った方も含め、住民の実に多くが、こと村政に関してとなると、一様に「変わってほしい」「変えてほしい」と訴える事実です。

 

これは二律背反に近い矛盾現象のような気もします。まあ、事案が人物評価の場合と村政の場合とでは、別次元の認識なのかもしれません。対人では、単に多数派か少数派かだけの相対的な問題における、基準なき主観の表明ですし、村政における「変わってほしい」のほうは「変化」に対する真意が変化そのものではなく、変化を望む自分の姿を好ましく思うだけの、自己表現なんじゃないのかな。

 

ついつい「変人」に擁護的になってしまう私も変人そのものと自認いたしますし、村政への変化をもたらす変人たるは私の望むところです。この点、私は矛盾なき自己同一性を維持できているように思います。

「変えてほしい」と言われたら、本当に「変えてしまう」べく、もちろん整合性をとりながらですが、努力いたす所存です。長生村から「ながいき村」へ、これも私の提案する「変化」のひとつであり、私の本質の対象です。 (30.4.13)