特に他意はありません、と最初にことわっておきます。

実は、選挙がらみの文書に散見できる、「住民が主役」とか「住民が主人公」というコピーが気になる私なのです。

これらは、語感としては、住民こそ至上の存在です、といった意味なのでしょう。しかし、どうも私は、違和感を覚えてしまいます。

 

なぜなら、「主役」にしても「主人公」にしても、それらは作者とか監督とかの、上位者の意図による「配役」なわけです。だから、いったい誰が住民に君臨し住民を操るんだろうという不安に捉われてしまうのです。

 

考えてみれば非民主的なコピーだと言えます。民主主義は統治者と被統治者が同一であって、そこには主役も脇役もありません。不思議な統治理念の民主主義は、構造的に虚構であり、しかし不都合もないので定着しているのが現実です。

ここで確かなのは「住民が主権者」だという民主主義における初期設定です。要するに、主権在民ということです。

 

主権者は選挙の投票によって、自分たちの代弁者を選ぶことができるし、退けることもできます。この点、マスコミの「安倍一強」なんて見出しも、本質的に間違いと言えます。だって日本は独裁国家でも何でもなく、問題があれば選挙で審判されるんですから。

長生村では4月22日(日)が村議会選挙の投票日。「主権者」の投票権を、しっかり行使いたしましょう。 (30.3.30)