こんにちは🌞

今日はお手当のお話。



先日次男がバスケの試合前日に体調を崩しました。
大事な試合だったので絶対に治したかったわけです。

私はおてあてをしました。
具合の悪さが体を素早く通過していくように。
私の想いは入れずに。
次男の体を信じるのみ。
次男の体の力を最大限に発揮できるように。

そう、おてあてはあんまり想いや願いは
込めません。
「ポカン😦」とした状態が良いと思います。
自然物になったような感覚を探しながら
私はおてあてをしていました。


一方、夫は…

夫もお手当をし始めました。
めっっっちゃ願いを込めていましたw
想いの塊でしたwww😂

次男シゲの悪いもの全部お父さんに来い!
来い来い来い!治れ治れ治れー!って🤣

私の脳内の教科書では
想いは重い ということで
おてあてに関しては念じるような方法は
取らないようにしています。
その方がこだわりが無くリラックス出来て
体の状態も良く気の共鳴が起こりやすくなるからです。

ですが、念じるようにおてあてをする夫を見た時に
感覚的に コレは間違いではない 
と感じました。

間違いとは言えないな と。

子を想う父親の気持ちが
シゲにとって力にならないわけがない
重くて邪魔をするわけがない

そう感じたのです。


頭でっかちだったのは私だったかもしれません。

おてあてを 知った者 として
行動したのは私。
有り余る母性を発揮して
心を込めて行動したのは夫w
(夫は母性のかたまりです)


2人の行動は同じに見えて実は真逆です。
でもそこに問題はないわけです^ ^
父親と母親の観念的なものが違っていても
子供に混乱もないわけです。

次の日シゲは試合で力を発揮できました^ ^

こういう経験で 私は「なんでもいいんだな」って感じるわけです。

何かを習っても
何か大切なことを知っても
絶対にソレじゃなきゃいけないわけじゃないんです。

習ったはずの何か から道が外れたとしても
問題は無いんです。
そんなんで問題が起こってるなら
自分の意思なんていらないじゃないかって話です。


自分で選んで大丈夫です。
道を外れても大丈夫です。
なんらかのメソッド通りじゃなくてオッケーです。
自分の意思を確認してください。
自分の意思とは愛みたいなもんです。
愛は大きいものです。
時間の概念を軽く超えてます。

自分の意思は誰にも邪魔されません。
守られてます。それをいつも感じます。

自信を持って大丈夫です。
あなたの中に誰にも触れられないとても大切な領域があると思います。今すぐ確認してみてください。
誰にでも 確認できます。
わからないまま  で良いんです。
わからないけど確認してみるってことです。

なんだかとっても盛り上がりました。
言葉が止まらないw

そんなこんなで
心配ご無用。自分を大切に⭐︎ってことです!!

ではまた〜👋

札幌国際芸術祭に行きました🎵



















楽しいよね。街に芸術の空気がおりたつのって🎵