今年も始まった高3トラウマ級の文系科目小テスト。

創ゼミの恒例行事である。

トラウマ級と言っても、ちゃんとコツコツやってきた塾生にとってはなんてことのない軽いテストである。

昨年のデータも手元に置きながら粛々とテストを進める。全科目合格の子は例外なく志望校に進学している。


試験監督は昨年度、全科目合格のすずみお姉さん。説得力の権化と言えよう。


英単語は本一冊が範囲。抜粋100問中90問以上正解しなければ即不合格。当然である。


英文法は授業で進んだところまで全範囲から同じく100問。


語法問題も同じく大量のプリントから100問抜粋。


古典文法100問。

漢文句形すべて完全復元、日本史等。


志望校がどこであれ、基本、正答率90%未満は有無を言わさず「不合格」。

これは絶対に譲れない。


そして、このテストの合否が受験を大きく左右することは過去のデータが明確に示している。


毎年、この日に発熱やら何やらで休む子も数人いる。

予定調和である。プレッシャーでホントに体調を崩している子もきっといるだろう。

すぐに再テストの日がやってくるが、7日の猶予を与えてもまず合格しないのも例年の予定調和である。


このテストで一部の生徒だが、本質的な「受験意識の低さ」が顕著に露呈される。

これは高1、高2から培われた「甘えと勘違い」に起因する。いつまで経っても中学レベルから脱却できていないということだ。


「覚えられない」なら、キツイ受験なんかとっととやめてしまったほうが良い。これが私の本音だ。

こんな初歩の初歩的なことさえクリアできずに、たいそうな大学を志望することはお門違いである。

大学に失礼だ、とキッパリ言おう。


義務教育から解放された高校生にとって、大学は行きたい人だけが行けばよい学府だ。

意識が低いまま、無理に塾に通ってまでやる必要なんてない。

いくら親が勉強しろと捲し立てたところで、素直に動くことをしないお年ごろである。

勉強をやりたくないならやらなければいいだけの話だ。


勉強はやりたくないけど、どこでもいいから大学には行きたいならそういう大学を選べばよい。塾の必要性はない。


勉強はやりたくないけど◯◯大学に行きたい、なんて美味しい話はないぞということ。


そして、この厳しい言葉を実際に保護者の方にもお送りしている。

「親身」とはそういうことだ。


優しい、丁寧、面倒見が良い。それだけで大学入試を勝ち抜けるならこんな楽なことはない。


重要なのは、高校生がどうやって自立した勉強をしてゆけるかにかかっている。


「この単語の意味なんですか?」

「この漢字なんて読むんですか?」

など、くだらない質問をしてくる生徒がたまにいるが、そんなもの辞書を引かずともケータイで1分以内で調べられることだ。

それすら面倒で、先生を辞書がわりに使うわけである。どうしてそこから問題意識の芽生えなど期待できようか。


勉強だけではない。

プリントのファイリングしかり

ノートの保管しかり

スケジュールの立て方・管理など

細かいこと一つ一つが密接に「意識レベル」に関わってくる。


半数の塾生はそこから叩き直さねばならない。

「とりあえず塾に行こう」なんてのが許されるのは高1までだ。

高2、高3生はまず「自立」することが肝要である。

(自分で勉強しろということではない)


これは「私自身」が超絶怠惰な高校生だったからこそ言えることである。自立して前衛的な勉強をスタートさせたところから、ようやく「受験勉強」が始まる。