そんな母でしたが、自分の次に大事なものはたぶん家族だったと思います。
病気や怪我をしたときなどは、普段とは全く違って必要以上に優しく接してくれましたし、時々口から出る言葉には愛情も感じられました。
また、衣食住についての主婦の仕事はきっちりしてもらっていました。機嫌の悪いときでも最低限の準備だけはしてくれていました。
だから、小さい頃から自分が大きくなったら親孝行しないといけないと感じることは度々ありました。
ただ、今思えば、他の家とは違ういろんなルールがありました。
例えば、家にいるときは家用の服に着替える。
これは外出来た服を家で着ていると、家の中が汚れるため必ず着替えさせられました。また、外ではいた靴下も必ず家に入るときには脱がないといけません。
風呂は週2回しか入りません。これは水道代、ガス代などの節約です。ただし、風呂に入らない日は、シャワーや濡らしたタオルで体を拭かないといけませんでした。
衣類は基本的には誰かの古着なんですが、それが気に入らないときはバーゲンで買ってきてくれました。ただ、これも高校生くらいになるとセンスが悪いので、その頃からバイトで稼いだお金で自分で買うようにしました。
毎日、夕方には必ず家の掃除。可哀想に父は早く仕事から帰ってくると、たいてい拭き掃除をさせられていました。私も小学校高学年くらいから大学に入るまで、ほぼ毎日していたように思います。
勉強についてはあまり細かく言われませんでしたが、成績が下がると気分の悪いときには、ひどく怒られ家に入れてもらえなかったこともありました。
また、母は人の悪口が多く、本人の前で言うことは滅多にありませんが、近所の人の話や、夫婦仲が悪いときは父の悪口、時には兄、たぶん私以外には私の悪口なども言っていたと思います。特に母の姉妹(7人くらい?)関係の悪口は頻繁に聞かされていたような気がします。その内容がとてもつまらない理由なんです。普通ならさらっと流すようなことを取り立てて大問題にしていました。まぁこれは、母だけに限らず、その姉妹全員が同じような性格の人なので仕方ないかもしれませんが・・・
ところが、私が大学に入った時(当然学費が安いところしか行かせてもらえませんでした)のことですが、少しでも学費で負担をかけまいと奨学金の申請をしました。そうしたら、収入が基準より多いので認めてもらえませんでした。
この時、初めて私の家はそんなに貧乏でなかったんだということを知りました。
小さい頃から「貧乏」をたたき込んでいた、たいした母です。