私たちの個人個人には個性というものが存在する。

例えば、サッカーがうまいとか、イケメンであるとかこれらは個性である。

逆に言ってしまえば、個性のない人なのいないのだ。

なぜならば、我々が生きているだけで、それは個性は存在するのだ。

別に障害があろうともそれは一種の個性である。

 

 

 

 

 

その個性が自分を作り出し、象徴するようなものアイデンティティである。

このアイデンティティの形成にはすべて他者からのものだといえる。

「サッカーがうまい」自分比べて、「イケメン」自分と比べてなど常に相手を評価するときは自分との比較により出されるのである。またそれらの自分との違い、差異によって決定さるのである。

個性の根幹には自分と比べての差異によって導きだされる。

しかし、もし、この差異がないとしよう。

これにより生まれるのは何か。

個性のない、まさにアイデンティティがない世界は、人は自分と相手を区別することはできないと思う。

また、アイデンティティのない世界とは、たぶんだが、それは同じ人間が複数いるというまさに、自己の複製されたものたちが住む世界である。

 

 

 

 

 

アイデンティティは個性ではなく、他者との交流と私は考える。

他者と他者の関係によりアイデンティティは形成される。

例えば、いま着ている服はあなたのアイデンティティである。

その服をきることであなたという存在は維持できる。

では例えば、いったんその服を脱ぎ、学校やら会社やらに行けばあなたは追い返されるだろう。

それはあなたのアイデンティティを相手に証明できないからだ。

人は判断により相手を認識する、そして、先ほど例に挙げた学校や会社は集団のアイデンティティと表現できる。

集団のアイデンティティにはそのアイデンティティをみにつけなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

いや~なんか書きたくなりました!

別にちゃんとしたものではないので、下手な文章ですが、

要するに、自分に個性がないと思ってもあなた達は個性の塊であると伝えたかったです。

なにか悩みごとがあっても別に気にすることはありません。

だってみんなは生きているだけで他の人にはないものを持っています