なりたいものがあるって素敵だ。

 

昔、同僚に、その仕事を続けていくにあたって、「私自身はどんな先生になりたいのか」を聞かれた。

 

理想はあった。

でも言えなかった。

自分とあまりにもかけ離れている。

仕事を全うしつつ、

走る事を、追及したかった。

自分の好きなことを、

追及し続けている大人が傍にいるって、

いいな、

と思っていた。

 

でも、仕事がそもそもうまくいかない。

授業の準備をいくらしたって、生徒が聞かない。

あの子たちが聴いて、理解しながら、授業についてくるにはどうしたらいいのか、

何がつまらないのか、

楽しいのか、

でもって、ちゃんと教科書が求めているスキルを身につけさせるにはどうすればいいのか

毎日、考えて、悩んで、3時、4時までかけて。

ある日、通勤で車を運転中、歩道の縁石に時速50キロぐらいで擦って目を覚ました。

でも、どんなに頑張って準備しても、

生徒からは「死ね」の連続。

どうすればいいのか分からなかった。

きっと、今あの場にいても、分からない。

 

その同僚は、私に、「100%の力を出し切っているようには見えない」といった。

「このままこの仕事を続けるのなら、100%、120%の力を出さないと。」

これ以上、何を頑張ればいいのか、まるで分からなかった。

確か、続けるのか、辞めるのか、決めな、のような事も言われた気がする。

 

この人は、その職場で、よく私の面倒を見てくれた人だった。

人として育てるつもりで、優しさで、こういう言葉を言ってくれたと思う。

 

でも、これ以上どう頑張ればいいのか、分からないよ。

授業の準備、仕事、教科の勉強とか、これ以上やったら寝不足で事故起こしたり、死んでしまう。

 

多分、周りの人にとって普通な感覚が、私にはないんだ、と思った。

 

それよりもはるか昔、自分の行動のせいで、

周りの人たちに、

「得たいのしれない何か」みたいな目で見られ時期がある。

 

自分の行動のせいで、その相手に、何が生じるのか、

数時間してから頭で考えられた。

 

普通、人間て、何か失敗しても、自分の心の中で、少しは自分を支える声があると思う。

 

でもその時期は、何もなかった。

自分の心の中に、自分を支える声が一つもない。

 

ただ、自分を否定するだけ。

 

そしてそれが必要だと、私は理解したし、むしろ望んでいた。

 

当初は、「○○(大切な人たち)のために速くなりたい」だったが、

だんだんと、「(他のものを捨てても、苦しくても)ただ速くなれさえすればいい」に変わっていった。

 

自分にとって大事なものを突き詰めていった結果だった。

 

普通に生きていれば、他の人の人間味とか、存在感とかを感じられるから、あんな事態にはならない。

 

周囲の視線や態度から、

これが、ヒトっていう動物の本能だ、と感じた。

つまり、

ヒトは、自分たちの群れの生き残り・安全・秩序・快楽に対して、悪影響があるヒトを、

本能的に、群れの外へと追いやる。

ヒトには、群れの外へと追いやりたいって欲求が、本能レベルである。

 

この本能は、社会では、他の様々なものと一緒になって「モラル」ってものに仕上がって、

「モラル」を土台にして法律がある。

そして、大人は、

この法律を使って、群れの生き残り・安全・秩序の維持のために、ヒトを隔離したり、消す。

 

私には、周りのヒトたちの反応から、そういう本能が感じられた。

そして、自分は追いやられる側のヒトだった。

 

このまま、自分は追いやられる側のヒトのまま年齢を重ねたら、

群れどんどん分からなくなり、群れも私を理解できなくなり、きっと、群れに法律をたてに消される。

 

自分の大切な人たちのために、走る事を突き詰めていった結果。

また、そこまでの人生で焼き付けられた、脳細胞の様々な化学反応の結果。

 

死刑にはならないにしても、このままでは、ヒトの群れの中では、健康で、長くは生きられない。そう感じた。

 

だから、自分の全部を否定した。

本当に、私にとって、私を壊せるかは、死活問題だった。

 

私の、その行為の数日後から、1~2か月間(春頃におさまったと記憶しているので、多分このくらいの期間)、悪夢が続いた。

寝入る際にはよく、部屋の天井や壁や布団から怪物が沸いて出て、皆で私を食いちぎった。

夢の中では、怪物がでて、襲ったり食べてくるので、逃げ回った。逃げても逃げても、暗い世界を追いかけてくる。普通の、楽しい夢を見たいと思っても、普通の人間も、どんどん怪物に変化して、襲ってくる。

 

夜が嫌いだった。怖かった。眠る姿勢も変わった。胎児みたいに丸くなると、なぜか少しは気が楽になった。結局は悪夢だが。

 

一日で一番気持ちが軽いのは、目覚めて上半身を起こして、ベッドから床に足を踏み出すくらいまでの、数秒。すぐに、気が重くなる。

 

世界もしばらくは白黒に見えた、に相当する状態だったと思う。

目は確かに、色を捉えている。

でも、そもそも脳が、あらゆる反応をしなくなっている。

あるいは、それまで出来上がった、ネットワークを壊す反応を起こしている。

色を見ても、色がもたらす心理的な感覚(例:青→寒い)とか、

視界に入るものをきっかけとして何かを連想する、というような反応が、脳から消えている状態。

 

幻聴も聞こえた。幻聴も聞こえ得ると思っていたから、幻聴として聞けた。

男性が二人、会話しながら家に近づいていて、銃の話をしながら、

「○○(私の名前)を殺すのは俺だからな」と言った。

私は部屋の窓から外を見たが、思った通り、誰もいない。

 

一度だけ、人に対して、嬉しがればいいのか、悔しがればいいのか、悲しがればいいのか、無表情にすればいいのか分からなくて、とりあえず幸せそうな顔をした。ものすごく気持ち悪がられた。他の人間が感じる感覚が分からなくなると、こういうこともあるのか、と、この文を書いている今さらながら思う。

 

 

きっかけは様々でいいと思うが、

こういう、人間の本能への見方や、

悪夢・幻聴・とるべき表情が分からない、といった経験をした人はどれだけいるのだろう。

 

私は多分、大多数の人が身についている何かが無い。

「得体のしれない何か」のように見られた、と感じてから、

ヒトが怖くて、

自分を否定して、

ヒトに混じれるように、追いやられないように

周囲のヒトに合わせて、生きて、

大切だと思っていたものも、

大切にすることが危険だと知って、ほどほどにしている。

 

でもそうしていく中で、

周りのヒトたちが笑い出すものを同じタイミングで笑えたり、

面白がったり、悲しんだり、怒ったりするとき、

同じ原因でそういう感情を自然と持てたりできるようになった。

 

昔は、方法も分からず、感情的にも、ヒト全般が怖くて感情的にあり得ない未来だったが、

今は、そういう未来を、多少、生きている。

 

でも、普通の人が持っている、心の何かが、根本的に無い気がする。

 

ヒトへの安心?

 これは無い方がいい気がする

 

大切なものを大切にしきって突き詰める思考回路?

 前みたいに思いっきり、走りたい。

 でも、ヒトと異なってしまう。分からなくなってしまう。

 ほどほどがいい。でもそれだと、あの時のように感覚が冴えない。

 

ヒトへのいわゆる「愛情」?

 多分「愛情」が一番分からない。

 多少、相手のことを思いやれていると思うのだけど、多少じゃだめなのか。

 でも、「もっと思いやる」って、

 「もっと相手のことを知る努力をして、

 相手のためになることを考えて、実行する」ってことなのか。

 だとしたら、

 「知って、考えて、実行する」ために、自分の時間をあまり多くは割きたくないと思ってしまう。

 まあ、相手がどんな人間かにもよるのかな。

 

眠い。今日はここまで。