7月12日生まれ
キルステン・フラグスタート
1895年の今日、7月12日は、不世出のオペラ歌手、
キルステン・フラグスタートの生誕日です。
キルステン・フラグスタートはノルウェー生まれのソプラノ歌手です。
特にリヒャルト・ワーグナーの楽劇のヒロインの歌い手として高い評価を得ており「ヴァグナーの女王」と呼ばれています。
彼女は18歳でオスロ国立劇場でデビューしましたが、
ワーグナー歌手としての名声を得るのは、30代後半、1935年にメトロポリタン歌劇場で歌うようになってからでした。
1941年にノルウェーに帰国するまで、アメリカでワーグナー歌手として華華しい名声を確立しました。
しかし、第二次世界大戦は彼女の人生に大きな暗い影を落とします。
1940年に祖国ノルウェーがナチスドイツに占領されると、
ノルウェーでは、対ドイツ傀儡政権といわれた
クヴィスリング政権が樹立されました。
1941年のフラグスタートの帰国は、クヴィスリング政権の協力者となった夫を説得してやめさせるためといわれています。
戦争中彼女は、夫ヘンリー・ヨハンセンとともに過ごしました。
戦争の終結とともに、ヨハンセンはナチスの傀儡政権クヴィスリング政権への協力者として告発され、1946年6月、反逆罪の裁判を待つ間に亡くなっています。
戦争によって最愛の夫を失った彼女の苦しみはいかばかりだったでしょう。
戦争中彼女はほとんど歌うことはありませんでした。
歌ったのは中立国のスイスとスウェーデンにおいてのみでした。
それにもかかわらず、ドイツ兵のために歌ったなどと、
酷いいわれなき誹謗中傷にさらされました。
戦後、1947年にはフラグスタートにヴィザが交付され、
アメリカ国内でコンサート・ツアーを開始しました。
勿論メトロポリタン歌劇場への再登場の可能性と期待があったと思います。しかし、全国的に彼女の公演にたいして反対の声があがり、
なんと!
彼女の演奏活動に反対するデモまで起こりました!
戦後早い時期から彼女の出演交渉が行われていたにもかかわらず、彼女はメトに再登場することができたのは1950年になってからでした。
彼女に対して、卵を投げつけたり、殺人予告まであったといわれています。
そのような逆境と試練に彼女はワルキューレのごとく雄々しく立ち向かっています。
逃げる選択肢も勿論あったと思います。
50代になっていた彼女は引退することもできたでしょう。
しかし、彼女は逃げませんでした。
彼女の歌を、芸術を待つ人々のために、万難を排して
再び舞台に立ったのです。
そのような、芸術家として歌手としての彼女に尊敬を禁じ得ません。
最近、誹謗中傷に屈することなく、
舞台に立ってくださっている宝塚歌劇団の宙組の生徒さん方と彼女の姿を重ねてしまいます。
辞めることだけが責任を取ることではないはず。
メディアや雑誌、そしてネットでバッシングする人々の
中傷の中にあっても、舞台に立ってパフォーマンスする彼女たちの姿にどれだけ励まされている人がいるでしょう。
私は、フラグスタートの『タンホイザー』のエリザベートが自らの命を投げ出して歌う「エリザベートの祈り」の歌を聴いたことがありますが、その歌の圧巻の迫力に驚きました。
物理的な強さではなく、何か魂の力の強さといったものを感じました。
命を投げ出して人を救うという非現実性に説得力を与えるほどの歌というか・・
第二次世界大戦という誰にとっても困難な時代を、
ヴァグナーのヒロインたちのような、精神の強さをもってたくましく生きた彼女の人生をその歌から垣間見るような気がしました。
フラグスタートの命式を見て見ましょう。
干支 蔵干 通変星 12運
年 乙未 丁 正財 正官 冠帯
月 癸未 丁 傷官 正官 冠帯
日 庚申 戊 偏印 建禄
「庚申」日生まれの方です。
激しい攻撃性をもつ「庚」の中でも、「庚申」は、「庚」の勢いが最も強くなるため、非常に芯が強い人です。
正義感が強い完璧主義者で、かなりな負けず嫌いです。
自分を甘やかさず、アスリートのように鍛え上げる強さをもっています。
「傷官」や「偏印」など、才能の星も漏れなくもっていますね。
命式に「正官」が2つあるので、自分を強く律する人です。
彼女が不屈の闘志をもって、荒波の人生を生きぬいた人だったことがわかります。