3月8日生まれ 松井須磨子

 

約140年前の今日、1886年3月8日は、女優、松井須磨子(小林正子)が生まれた年です。

 

1914年、兵庫県では宝塚歌劇団が誕生した年、

東京では、『復活』のカチューシャ役で須磨子が大評判になっていました。

「カチューシャかわいや~、別れのつらさ~♪」と彼女が歌う主題歌「カチューシャの唄」は大あたりして、レコードまで発売されました。当時2万枚以上売り上げるという大ヒットだったようです。

 

とても華やかなイメージの女性ですが、彼女の人生は苦難の連続で、波乱に満ちたものでした。17才で結婚するも、嫁ぎ先の親に病弱を疎まれて離婚、夫から性病をうつされました。

女優をめざして、俳優養成学校の試験に臨みますが、面接で「鼻が低くて華がない」ことを理由に入学さえさせてもらえませんでした。

諦めきれない彼女は、鼻につめものをする「美容整形」を受けて、演劇研究所の第1期生となりましたが、後々整形がもとで後遺症に苦しむことになります。

 

壮絶な努力のかいあって、文芸協会付属演劇研究所に入所し、演劇の勉強に打ち込みました。妥協をゆるさない彼女の打ち込みようは、家事をおろそかにするということで二度目の結婚相手との破局につながりました。

新劇女優としての須磨子は、ハムレットのオフィーリア役への抜擢、『人形の家』のノラ、上記の『復活』のカチューシャなど次々に評判をとり、人気女優となりました。

 

一方では、妻帯者である島村抱月と恋愛(不倫)し、文芸協会を追われ、島村らと「芸術座」を立ち上げました。

 

1918年11月、スペイン風邪で島村抱月が病死すると、2カ月後の、翌1919年1月後追い自殺を遂げました。32才でした。

 

過酷さと華やかさに満ちた松井須磨子の命式をみてみましょう。

 

1986年3月8日生まれ

 

 

年 丙戌 辛 劫財 偏財 養

月 辛卯 甲 偏財 印綬 

日 丁卯 甲    印綬 

 

「丁卯」の人です。

すこし前にブログに記事をかいた、宝塚歌劇団の女の子も「丁卯」日生まれでした。

 

 

「丁」には、「月」や「灯火」という象徴があります。

「月」も「ロウソクの火」も暗い世界を照らすものです。

「丁」の人は、世を照らす慈悲の心をもつ人です。

ロウソクが身を削って回りを照らすように、自己犠牲もいとわず、人に尽す面があります。物静かな人ですが、心の中に熱い情熱をもっています。

月が満ちかけするように、情感あふれる感性をもっているがゆえに、繊細な面があります。

小さなロウソクの火が火事をも起こすように、火がついたように怒りだすこともある人です。

表だって覇気があるというのではないのですが、心の中にマグマをもっているような人ですね。

手先が器用で、芸術的な感性をもっているのも特徴です。

 

彼女も日柱だけでなく、月柱の十二運も「病」があります。

「病」は虚構の世界に生きる人です。身体がやや弱い分、精神面が発達していて、豊かな感性や芸術的な才能ももっている人です。

ただ、悪い妄想に支配されると、ネガティブ思考に陥り、心配性になる面があります。

バランスをとるために、身体を動かしたり、現実世界に目を向けることも必要でしょう。

 

彼女の命式のちょっと残念なところは「印綬」が蔵干通変星にあり、天干の通変星には「偏財」があるところです。

名誉を表す「印綬」は天にあって輝き、「偏財」は地にあってこそ着実な財を形成できるといわれるからです。

「偏財」も「印綬」も吉星ですが、それぞれ夫から見て、妻の星と母の星にあたるので、お互いの良さを打ち消し合う作用になることもあります。時柱が分からないのでなんともいえませんが、三柱に「官星」がありません。「官星」があれば自制心が働き、不倫に走ることはなかったかもしれませんね。それに「官星」があると、「財」が「官」を生じ、「官」が「印」を生じるというように、気の流れがスムースに動くので運気が安定する面もあります。

彼女は大運でも「官星」が巡ってきていませんでした。

 

いずれにしても、彼女は彼女らしく、激しくも短い生涯を全うしたのかもしれません。島村抱月に死なれるとすぐ後追い自殺を決意したようです。抱月の命日に縊死した彼女の表情は一点の曇りもなく、その死に顔は安らかで美しかったそうです。