アタガミノ

アタガミノ

ホラー小説書いてます。
グロ、暴力、残酷描写等がありますので、苦手な方、不愉快に思われる方は閲覧要注意! です。

 

 

 

 

 

「遠いとこ、よう来てくれたねぇ」

 

 訪いを入れると、小峰家の女主人が広い玄関土間までにこにこと出迎えてくれた。

 

「お久しぶりです。この度はご愁傷さまでした」

 

 外気の熱さを遮断した薄暗くひんやりした空気を懐かしく感じながら、森下正尚は深々と頭を下げ、隣に立つ息子の背中を軽く叩いて合図を送る。

 

「こんにちは」

 

 今まで目にしたことない古い日本家屋の内側を珍しそうに眺め回していた尚人は、父の合図でキャップを脱ぎ、練習通りに頭を下げた。

 

「まあまあ、こんな大きゅうなった正ちゃんだけでもびっくりやのに、その正ちゃんの息子さんにまで会えるやなんて、ほんま嬉しいわぁ」

 

 女主人は八重子という名の、正尚の母希久江の従姉だった。

 八重子の皺の刻まれた白い手が尚人の頭を撫でる。

 

「すみません。ご葬儀でお忙しいのに息子まで連れて来てしまって。妻が急な出張に出なければいけなくなったものですから――」

「ええのよ。こちらこそせっかくの夏休みにこんなとこまで来てもうて申し訳ないです。

 ごめんね、尚くんやったかな――他に遊びに行きたいとこあったやろにねぇ。

 ほんで希久江ちゃんの具合どう? 脚の骨折ったんやって?」

「そうなんですよ、自転車で転んで。でもだいぶ回復してきてます」

「そうよかったわ。で、正明さんが希久江ちゃんを看てるのね?」

「ええ、嬉々として面倒みてます。夫の有難みをアピールしているみたいで笑っちゃいます」

 

 父のドヤ顔を思い出して正尚が笑うと八重子も笑った。

 

「希久江ちゃん、電話でいつも、正明さんのこと気ぃつかん男やの、頼りないやのて愚痴言うてたけど、それほんまは惚気やわかってましたわ。この際よう甘えてんの違いますか」

「そうみたいです。

 不幸事にこういうのも失礼なんですが、こんな機会がなければ八重子さんに会えないのにって、母がとても残念がってました。くれぐれもよろしくと」

「うちも久しぶりに会いたかったんやけどねぇ。

 そちらにお見舞いに行けたらええんやけど、この齢なったら、ど田舎から出んのが億劫なってね――帰ったらよろしゅう言うといてな。

 あ、ごめんごめん、いつまでもこんなとこで――ささ、早う上がって、上がって」

 

 八重子に促され、三和土を上がり長い廊下を進む。

 

「うわっ、ひろっ」

 

 襖が全部開け放たれた広い座敷を見て尚人が驚いた。

 近隣からの手伝いもいるのか、たくさんの人々が通夜と葬儀の準備に立ち働いている。

 

「すごいっ、ここだけで、うちの部屋全部合わせたよりも広いよ、パパ」

 

 大きな声ではしゃぐ尚人に、神妙な表情で動いていた人々が頬を緩めた。

 

「こ、こらっ」

 

 正尚は恥ずかしくなって息子を叱った。

 そんな二人を八重子がくすくす笑う。

 

「尚くん、自分の家や思うてくつろいでくれたらええで」

「うんっ」

「こらっ、はい、だろ。す、すみません」

「ええの、ええの。子供の賑やかは好きやで、うち嬉しいわぁ」

 

 この家の一人娘だった八重子は婿養子をもらって跡を継ぐも、子供に恵まれなかった。

 なので小学一年生の時に一度、希久江に連れられて来た際もひどく喜んでくれたことを正尚は思い出した。

 

「大伯父さんはおいくつだったんですか?」

「九十よ。歩くのがちょっと不自由やったけど、ボケもせんと、何でもおいしそうに食べて、最期は眠るように逝ったわ」

「本当にご愁傷さまです。子供の頃、庭で遊んでもらったのを何となくですが覚えてます」

「希久江ちゃんに連れられてきた時の正ちゃん――尚くんくらいやったなぁ。うちは孫作ってあげられんかったで、お父ちゃんそらぁ喜んで、正ちゃんのこと欲しいてわがまま言うて――

 ほら、ここや。今晩はここで休んでちょうだい。

 あの座敷よりは狭いで、ごめんなぁ」

 

 八重子が尚人の顔を見て笑う。

 

「それでもうちのリビングよりずっと広いよっ」

 

 感嘆の声を上げて案内された座敷を見回す尚人を見て、正尚も笑った。

 

「恥ずかしいこと言うなって、ママがいたら叱られるとこだったぞ。

 ところで八重子さん、何か手伝うことありませんか。何でも言ってください。母にも頼まれてますので」

「何言うてんの。遠路はるばる来てくれて手伝いなんかさしたらお父ちゃん化けて出てくるわ。ゆっくりしててくれたらええで。お茶でも持ってくるわ」

「そんな、申し訳ないです。遊びに来たんじゃないですから――」

「ねえパパ、あそこすごいね」

 

 大人同士のやり取りなど気にもかけず尚人が窓外を指さし、持ち前の好奇心旺盛な表情で振り返る。

 窓を覗くと裏山が見えた。

 一週間ほど滞在したとはいえ、たった一度しか来なかった村なのでそれほど記憶していなかったが、鬱蒼とした森を見ていると思い出が少しずつ蘇ってくる。

 

「やっぱり親子やね。覚えとる? あの時の正ちゃんもそうやって喜んでたんよ。あ、そうそう蒼梧くんのことも覚えとる?」

「蒼梧くん?」

 

 正尚は少しの間小首をひねり、「あ、思い出した。裏山の向こう側にあるお屋敷の子」と破願した。

 

「そうそう大瀧家の次男さん。正ちゃん、蒼梧くんと仲ようなって裏山で遊んでたやない」

「ああ、そうだった。あの子もいい歳のおっさんになってるんでしょうね」

「いい歳のおっさんどころか、今や政界で大活躍しとるで」

 

 八重子の言葉に、正尚ははっとなった。

 

「ああっ、そう言えば、この前国会のニュース見ていて、何か引っかかったのはそれだったんだ。大瀧議員――どうりで見覚えがある気がしたんだ。そっか、あの子だったのか」

「まだ若いほうやけど、次期首相候補言われてねぇ。もしそうなったら、この村も発展するんかしらねぇ。

 長男の章朗さんは大滝家継いで、後継ぎの息子さんもいてるし、言うことなしやわ」

 

 うんうんと頷き微笑む八重子に正尚も笑顔を返しながら、知った人間が今や日本の偉い人になっているのかと思うと感慨深かった。

 だが、ふと厭な思い出も蘇ってきた。

 

 この優しい従伯母《いとこおば》に打ち明けたことはなかったが、大瀧家の人間、特に蒼梧の母親が正尚や希久江に対して蔑視がひどかったのだ。

 

 小峰家も大瀧家同様この村では有数の素封家だが、希久江の父は小峰家から出奔した身の上であったため、その娘や孫は卑しい者として見なされていたらしい――これは成長して後、母から聞いた事情だ。

 

 だが、当時の正尚少年はそんなことなどつゆ知らず、蒼梧の母をただの意地悪なおばさんだとしか思っていなかった。

 それに蒼梧はそのおばさんの子供だと思えないくらい優しくて、村に同世代の子供がいなかったせいで、正尚との出会いをとても喜び、滞在していた一週間は毎日一緒に虫取りや川遊びをして大いに楽しんだ。

 

 だが、帰る時になり急に冷たくされたことも思い出した。わけがわからず、帰路の車中で悲しくなったり、怒ったり、家に着いてからも悔しさで心がざわつき、平常心に戻るのに数日要したのを思い出して内心苦笑した。

 

 でも蒼梧の急変がなんだったのか今ならわかる。

 きっと彼も別れの寂しさや悲しさで心がざわつき、逆にあんな態度をとったに違いない。

 

 蒼梧がまだここに住んでいたなら会いに行けたのに――だが、今や天上人だ。

 

 今の今まで忘れていたことを棚に上げ、正尚は楽しかった思い出を懐かしみ、

「あの裏山はすごく楽しかったよ」

 思わず呟いてしまった。

 

「うわあ、ぼくも行きたい行きたい行きたい」

 

 しまったと思った時は遅かった。尚人がジャケットの裾にすがりつく。

 

「だめだよ。パパはお手伝いに来たんだから。尚人と遊んでいる時間なんてないよ」

「でも行きたい行きたい」

「きかん子だったってママに言いつけるぞ」

 

 尚人は下唇を噛み締めて押し黙った。

 

「連れてって上げたらええやないの。うち気ぃ遣て、手伝いいらん言うてんのと違うんよ。ほんまにここでゆっくりして欲しんよ。

 そやけ尚くんを案内しついでに思い出に浸ってのんびりして来て。そのほうがお父ちゃんの供養にもなるわ」

 

 そう言ってしんみりと笑む八重子を見て、とうとう正尚も頷いた。

 

「やったっ」

 

 尚人が両拳を上げ飛び跳ねる。

 

「こ、こらっ――ほんとすみません」

「ええの、ええの。ほんま元気ようて見てて楽しうなるわ」

「じゃ、お言葉に甘えて行ってきます」

 

 笑顔で頷く八重子に、正尚も軽く頭を下げた。

 

 

 

 

 あの頃の裏山に入る小径は左右から木が生い茂り、トンネルのようになっていた。

 

 入り口から神秘的な、薄暗くて涼しい小径。

 枝の重なりでできたトンネルだというのに、降ってくるようなセミの声がそこに入ったとたん遮断された。

 そんな不思議な小径を通って登っていく裏山探検の、正尚少年の胸の高鳴りを思い出す。

 

 だが、すぐ見つかると思っていたその小径への入り口はなかなか見つからなかった。

 葛などの雑草が繁茂し、壁のようになっているのだ。

 長年管理されていないので荒れているのかと思ったが、もしかしてあの時は蒼梧がいたから簡単に小径に入っていけたのかもしれないと正尚は思った。

 

「パパぁ、まだぁ?」

「う~ん、この辺りだと思うんだけど」

 

 記憶を辿り、雑草を手で掻き分けて小径の入り口を探すも、やはり見つからない。

 

「何年も経ってるからなぁ、あの小径はもうないのかも……でも八重子さん、裏山に入れないなんて言わなかったし、他にルートがあるのかもしれないな。

 あの小径は蒼梧だけが知ってた秘密のルートだったのかも……う~ん、いったん戻ってルート訊いて来るか」

「え~~~」

 

 尚人のふくれっ面を見た時、右前方でがさがさと草むらが揺れ、蔓が絡まる葛葉の間からひょこりと薄汚れた少年が顔を出した。

 

「あ、正ちゃん?」

 

 その子は尚人を見てそう言った。

 

「ぼく尚人って言うんだよ」

「ふーん」

「ねえ君、裏山に登る小径知らない? 君が今いる場所がそうなのかな?」

 

 訊くと、少年が目だけ動かして正尚を見た後、カーテンを開くように両手で蔓の絡まりを広げた。汚れた衣服の彼の背後に、あの暗い小径が見えた。

 

「あ、ここだ、ここだ」

 

 正尚は尚人と手を繋ぎ、空いた手で葛の壁を除けながら、アスファルトの路面から下草の茂る小径へと一歩踏み出した。

 

 枝の重なりでできたトンネルの小径はあの日と同じように静かで薄暗かったが、時折枝葉が風に揺れて木漏れ日がきらきら降り注ぎ、とても神秘的だった。

 

 少年が「うわぁい」と嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら先導してくれる。

 

「あの子、案内してくれて親切だね。でもちょっと汚いかな」

「う~ん、田舎の子は思い切り遊ぶからな。

 だけどそんなふうに言っちゃだめだぞ。なんならお前も思い切り遊べ」

「え~? 汚して帰ったらママに怒られるよ」

「ははは、確かに。でもせっかくだから、汚れても気にしなくていいよ。パパが怒られてやるから」

 

 嬉しそうに笑って頷く尚人に笑みを返しながら、実のところ正尚も少年の汚れ具合が気になっていた。

 これは子供が一日遊んで汚れたものではない。

 

 ――ネグレクトだろうか……? いったいどこの子だろう。

 

 引っ掛かるのは、この子がさっき『正ちゃん』と言ったことだ。

 この村に正ちゃんと呼ばれる子供がいるのか? だとしても尚人を見てそう呼んだのはおかしい。

 

 もしかして蒼梧の家系の者かもしれない――今の当主に息子がいるって、さっき八重子さんが言ってたし。

 でも……次代の後継ぎに虐待なんかするか?

 

 正尚は首を捻った。

 

 う~ん、あの蒼梧の母親なら気に入らない者へ体罰や虐待を平気でしそうな気がするけど……後継ぎだぞ? いや……まさか、蒼梧の隠し子? うわっ、そっちの方があり得る――きっと幼い頃に父親《蒼梧》から『秘密基地』や『正ちゃん』のことを聞いていたのかもしれない。

 

 だが、今や蒼梧は政界の中心にいる人物――どういう経緯があって、妻や子供を置いて村を出たのか……いや、あの母親に妻子を認めて貰えなかったのかもしれない、とすればネグレクトにも合点がいく。しかも……

 

 正尚は少年が身体のわりに幼稚な気がした。生まれつきか、虐待の影響か。

 だが、真偽不明なことを無関係の自分が考えても詮無いことだ。

 

 正尚はそれ以上考えるのをやめた。

 

 

 

「パパな、友だちになった子とここで秘密基地作ったんだぞ」

「ほんと? まだ残ってるかな?」

 

 尚人の顔がきらきらと輝いていた。

 

「ははは、いくらなんでももうないだろ」

「じゃあ、作ろ作ろ」

「う~ん、あの時は日にちがあったからな……毎日毎日板の切れ端やレジャーシートなんか持ち込んだりできたんだけど……きょうだけじゃ無理だな」

「木の枝とか葉っぱとか、あるもので作れないかな?」

「倒木は重くて使えないだろうし、頃の良い枝なんか数は落ちてないだろうし……まして勝手に折ったりしちゃいけないから、ん~無理だろうな」

「ちぇぇ、つまんない」

「帰ったらホームセンターでテントでも買うか? キャンプに行くのもいいし、夜にベランダでテント張るのもいいぞ」

「うん。やったぁ! そうだ。ぼくそれで基地作ろ」

「ママの邪魔にならないところで作るんだぞ」

「わかってる」

 

 二人で話している間に、小径が行き止まりになり、少年が「ここっ」と、雑木林の間を指さした。

 指している先には古くなって黒ずんではいたが、蒼梧と作った基地がまだ残っていた。

 

 基地などとかっこよく呼んではいるが、廃材を組み合わせて作った粗末なバラック小屋だ。

 入り口にぶら下げたレジャーシートもずたぼろになっている。

 

 だが尚人は、「うわっ、すごいっ!」と感激していた。

 

 シートの隙間から、蒼梧が持ってきた古い漫画雑誌やおもちゃが見えていた。

 尚人がそれに興味を引かれ中に入ろうとしたので、「危ないからだめだ」と肩を掴んで止めた。

 

 小屋の形を保っているとはいえ、何年も経過したものだ。崩れて怪我でもさせたら――

 

 だが、少年がいそいそと中へと入って、漫画雑誌を読み始めた。

 尚人が懇願の眼差しを正尚に向ける。

 

 大丈夫そうだし、まあいいか……

 

「気を付けろよ」

 

 尚人は笑って頷くとシートを潜って少年の隣に座り、漫画雑誌を覗き込んだ。

 それは三十年近くも昔のものだった。

 

 そうだ、あれは蒼梧が厳しい母親に買ってもらえず、雑誌を持っていた使用人に譲ってもらったもので、屋敷に置いておけずに秘密基地に持ってきたのだ。

 

 あれがまだ残っているなんて……

 

 正尚は驚きながらも懐かしく思った。

 

 だが、裏山に登ると言っただけなのに、なぜ少年はここに案内してくれたのか……

 

「きっと遊び相手が欲しかったんだろうな……」

 

 楽しそうに二人は漫画を読み、同じく使用人に貰って隠していたカードゲームで遊んだり――尚人にとっては珍しくて面白いものだったらしい――二人は以前からの親友のように仲睦まじく遊んでいた。

 正尚と蒼梧がそうだったように。

 

「正ちゃん、これすごいやろ」

 

 少年は当時の図鑑を広げ、指さしながらにこにこと笑顔で何かを尚人に説明していた。

 

 あの笑顔……

 

 外から基地の中を眺めていた正尚は懐かしさと同時に、子供の頃の記憶が段々はっきりして来た。

 その記憶の中の蒼梧の笑顔と少年のそれがぴったり重なる。

 

 やっぱり親子なのだろう。だから似ているのは当たり前だ。

 

 そう納得しようとしたが、少年が着ている汚いシャツもズボンも当時の蒼梧が来ていたものと同じだと気づいた。

 

「き、君、名前は?」

 

 思わず正尚は少年に訊いた。

 

「蒼梧や。大滝蒼梧。正ちゃんは知ってるよな?」

 

 後の言葉は尚人に向かっていた。

 信じて疑わない明るい笑顔を向ける少年にどう返していいのかわからないようで、尚人は苦笑している。

 

 あの日――村から帰る日の前日、最後に裏山で蒼梧と遊んだ記憶も思い出した。

 

 思い切り遊んで、夕方、二人であの小径を下り、山から帰った。

 正尚は小峰家、蒼梧は大滝家のほうへと別れ、正尚は泣きながら蒼梧が見えなくなるまでばいばいと両手を大きく振った。

 だが、小径を戻る時にあれほど寂しがっていた蒼梧が一度も振り返らなかった。きっと泣いている顔を見られたくないのだと思った。

 

 ちゃんと全部思い出した。だからこの少年が蒼梧であるはずはない。

 

 ――雑木林は薄気味悪いくらい静かだった。セミの声も鳥の声も、葉擦れの音さえも聞こえず……

 

 正尚の背に怖気が走った。

 これは濃厚な山の気に当てられているのかもしれないと思った。それで変なものが見えているのだと。いや山の気《鬼》そのものか。

 

 二人は再び楽し気に漫画雑誌を広げていた。

 

「尚人もう帰ろう。八重子おばちゃんが心配するから」

「え~、やだぁ、まだこれ読んでいたい」

 

 正尚はシートの入り口を覗き、そっと息子に帰りを促したが、尚人はふくれっ面で駄々をこねた。

 

「もう十分だろう? 八重子さんのお手伝いをしなかったら、きっとお祖母ちゃんに叱られるぞ。さ、帰ってお手伝いしよう」

 

 一応説得に応じた尚人は渋々基地から出て来た。

 正尚は一緒に出てきた少年に、「君も遊んでくれてありがとうね」と礼を言った。恐怖で目を逸らせたまま――

 

 少年はうんともすんとも言わず、来た小径を戻る正尚たちの後ろをついてくる。

 

 それほど時間は経っていないのに、薄暗い小径はさらに暗くなっていた。ざわざわ胸騒ぎし、尚人と手を繋いで急いで下る。

 

 ついてくる少年の、下草を踏みしめる足音が背後に聞こえていた。

 

「また来ような」

 

 今度いつ来られるのか、もしかしたらもう二度と来ることはないかもしれない。だが、正尚はしょぼくれている尚人を納得させるため、慰めるように言った。

 

 薄暗い小径を抜け、やっとアスファルトの路面に出た。

 少年が小径の境界から出てこないのが、目の端に映る。

 

 尚人もあれだけ帰りたがらなかったのに、諦めがついたのか小径から出た途端、繋いだ正尚の手を引っ張ってすたすたと小峰家への帰路を進んでいく。

 

 正尚は引っ張られながら、これ以上息子がごねないことに安堵した。

 

「正ちゃん、バイバイ」

 

 後ろから少年の別れの挨拶が聞こえたが、尚人はあの日の蒼梧のように振り返りもせず、挨拶も返さなかった。

 それに違和感を覚えつつ、正尚も振り返ることはなかったが、

 

「パパ……」

 

 後ろから尚人の声が聞こえ、思わず振り返ってしまった。

 

 アスファルトと小径の境界に立つ少年の隣に、戸惑った表情の尚人が立っている。

 

 えっ?

 

 正尚はゆっくりと視線を下げ、手を繋ぐ自身の息子を見た。

 その尚人と目が合う。瞬きもせず、無表情でじっと正尚を見つめている。

 その冷たい眼差しに覚えがあった。

 

 最後に遊んだ日の翌日、さよならの挨拶に行った時の蒼梧の眼差し。

 

 あの子は本当に蒼梧だったのか? 冷たい対応は別れに対する悲しみや寂しさの裏返しではなかったのか

 山の気《鬼》はこの蒼梧ではなく、あの蒼梧だったのだとしたら……

 未来の日本を背負って立つ彼はいったい……

 

 呆然とする正尚の手がくいっと引っ張られ、

「パパ、早く帰ろうよ」

 眼差しはそのままに、口元だけ動かして尚人がにたっと笑った。

 

 正尚は慌てて手を振り解き、本当の息子のもとに駆け寄ろうとした。

 だが、絡まり合った葛の蔓が壁となって、そこには小径も二人の姿も、もうどこにもなかった。

 

                了