おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。

ブログ管理人の 高坂 美慧 です。

 

「いつか駒場の長岳寺を参拝するならば

 必ずこのお店に立ち寄ってみたい…」

 

そう感じていた阿智村駒場の和菓子の老舗

春木屋本店栄松庵さん。

 

 

お邪魔できたなら、

手に入れてみたいお菓子がありました。

それがこちら…。

高坂弾正もなか

え?高坂弾正?

あの武田軍の海津城主を務めた?

 

そうです。

 

駒場が出身だった?

 

いいえ、今でいう山梨県笛吹市石和です。

 

じゃあ、彼が川中島一帯のあと担当した地?

 

いいえ、最後まで川中島一帯を担当されたままでした。

 

駒場に何か特別なエピソードでも?

 

確かにエピソードはあります。

信玄さんが亡くなられた後、

織田・徳川軍と戦い武田軍が大敗した長篠(設楽原)合戦。

北信濃を護るために戦いに参加しなかった高坂公が

敗走してきた勝頼公をを出迎えたのがこの駒場でした。

この地で高坂公が率いてきた軍勢の甲冑と

勝頼公とともに戻ってきた軍勢の甲冑を交換し、

甲斐の領民に動揺が広がらないよう配慮した、

とのエピソードが残っています。

 

では、そのエピソードから生まれたお菓子ということ?

 

それが違うのです。

 

では…なぜ…???

 

…実は…

高坂弾正公の末裔さんと春木屋ご主人との

出会いによって誕生したのです。

その末裔さんが…阿智村伍和に

暮らしておられたのでした。

 

ええ〜〜〜〜びっくり

 

…失礼しましたw。

ここまで私の心の声がもれてしまいましたw。

 

さて、

和菓子の誕生秘話が掲載されている

高坂弾正つれづれによれば…

 

阿智村伍和丸山に暮らした高坂家一族は

信玄公のご供養を行いながら

阿智村伍和の中に

ご先祖の高坂弾正公のお墓も作り、

先祖代々大切にされてきたそうです。

 

岡山大学医学部精神神経科で活躍された

故 高坂睦年先生がその末裔でいらっしゃり、

故郷を離れても

毎年高坂弾正公と先祖代々のお墓参りのために

戻られて必ず春木屋さんに立ち寄られておられました。

 

高坂先生は春木屋のご主人に

折に触れて戦国時代に活躍したご先祖のエピソードの

数々をお話になる中で

「高坂弾正公のこの遺徳を形にしてはいかがだろうか…?」

そんなご提案をなさったそうです。

 

そして、昭和63年に

阿智村で「高坂弾正もなか」が誕生しました。

末裔の高坂睦年先生は大変喜ばれ

「きつつき抄」という直筆の書を

春木屋さんに贈られておられます。

高坂睦年先生は長野県阿智村伍和のご出身で、

岡山大学医学部に学びその後第二次世界大戦の際には

海軍として出兵もされました。

戦争が終わると岡山大学に復帰、

精神神経科の道で尽力され、

勲三等瑞宝章を叙勲、平成8年に永眠されました。

 

「甲陽軍鑑」の原案者でもある高坂弾正昌信公。

信玄さん終焉の地を、

高坂公の末裔の方々が

見守り続けられたのか…と感じると…

胸にグッとくるものを感じる…お菓子です…。

 

春木屋さんのお菓子はオンラインでも購入可能です。

ホームページでは高坂睦年先生のご紹介もとても丁寧にされていらっしゃいます。

関心を持たれた方はぜひご覧ください飛び出すハート