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ブログ管理人の 高坂 美慧 です。

 

信玄さんの命日が4月12日と近いこともあり

昨日より信州を歩いております。

 

昨日は長野県下伊那郡阿智村駒場へ…。

 

信玄さんが最期を迎えたとされる天台宗 長岳寺を参拝しました。

境内のしだれ桜は見事な満開を迎えていました。

 

本堂の前には武田の家紋の提灯が飾られています。

このお寺には信玄さんの遺品として兜の前掛けが

大切に保存されており

200円収めると拝観することができます。

 

過去、その前掛けを拝観した

昭和の詩人・野田宇太郎さんは

 

「信玄は

 兜のきんの

 前飾り

 一つのこして

 あとかたも奈し」

 

という歌を残し、

それが長岳寺の入り口に歌碑となって置かれています。

 

境内に入ると、「武田信玄」を執筆中であった

作家・新田次郎さんが参拝した際に詠んだ句が

碑として残されています。

 

「木枯らしや

 いまはた遠き

 信玄火葬塚」

 

先人の方々も

偉大な戦国武将の死を惜しんだ跡を

そこかしこに感じるお寺です。

 

なお、その新田次郎さんが

「武田信玄」の歴史小説を書き上げた

翌年、昭和49年4月に行われた

武田信玄没400年祭を機に境内に

信玄さんの灰塚供養塔が作られました。

これは戦国時代、長岳寺の裏山で火葬された

火葬塚より遺灰を移して作られているとのことです。

 

平安時代に天台宗を生み出した最澄によって創建されたと伝わる

古いお寺です。

信玄さんの時代、

下伊那一帯を統治していた

下條氏に信頼を寄せ、信玄さんの妹君を嫁がせました。

同時にご自身の名前、

「晴信」の中から「信」も与えました。

当主は「下條信氏」と名を改め、

山県昌景公の配下で活躍したと伝わります。

当時の長岳寺の住職、六世裕教法印は下條氏の出身で

この下條信氏公の兄弟、つまり、

信玄さんと義理の兄弟関係にあったとされています。

 

さて、長岳寺には境内の桜とともに

本堂の中で眺めることができる桜の襖画があります。

本堂の中で「この襖画については撮影してもいいですよ」

ということでしたので撮影させていただきました。

 

 

大きなしだれ桜が描かれた美しい「春の間」です。

これは日本画家・吉川優さんによって2012年に奉納されたもので、

他にも「夏の間」「秋の間」「冬の間」「火炎の間」

「朝日の間」「月の間」と

それぞれに美しい世界が広がっています…。