おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。

ブログ管理人の 高坂 美慧 です。

 

松本にお邪魔した際、

武田氏のブログを書く者としては

ここも訪ねなければ…と

歩いてきました。

 

国宝 松本城。

 

戦国時代、

信濃守護小笠原長時公の頃は、

松本市里山辺に林城という本拠地を置いていました。

松本城は当時その支城という役割で

「深志城」という名で置かれた城でした。

 

信玄さんの侵攻により、小笠原氏は追放、

その後武田氏によって本格的に深志城を拠点とし、

松本盆地一帯を統治しました。

深志城代には馬場信春公、内藤昌秀公など

武田氏の四天王クラスの武将が歴任していたことからも

重要な拠点とされていたことが分かります。

 

武田氏が滅亡し本能寺の変が起こると、

元信濃守護であった小笠原貞慶公が深志城を奪還し

返り咲きました。

その際に「松本城」に改名した、とされています。

その貞慶公も徳川の家臣となって関東へ移ることとなり、

その後、

昨年の大河ドラマ「どうする家康」でもおなじみ、

徳川家康公の重臣で

後に豊臣秀吉公に臣従した石川数正公が城主を務めました。

 

現在の天守閣等の城の建造物や城下町は

石川数正・康長親子により

築かれています。

 

1936年(昭和11年)に国宝に指定され

日本を代表する名城の一つとなっています。

 

松本城は今冬より初めて

プロジェクションマッピングを開催しており、

2月14日(水)まで楽しむことができます。