こんにちは。ブログをご覧くださり誠にありがとうございます。

ブログ管理人の 高坂 美慧です。ご無沙汰しておりましたニコニコ

本日から再び、武田 とみさん とお話ししていきます。

よろしくお願いしますニコニコ

 

美慧: とみさん、お久しぶりです〜。

 

とみ: 美慧ちゃん、本当ね〜。お久しぶり!

    GWは楽しく過ごせた?

 

美慧: はい。家の中の断捨離を進めたり、

    作り置きのおかずのバリエーションが増えたり、

    ZOOMで仲間とお話ししたりしつつ楽しみました〜。

 

とみ: このブログ読んだけれど、ニャーちゃん!

 

美慧: そ〜なんです!

    4月初旬に韮崎にお出かけした際に、

    あら〜絵になるネコちゃんだわ〜と

    写真を撮ったのがきっかけで仲良くなりました。

 

とみ: ほぉ〜。

    そしてガイドの腕もなかなかよね〜。

    

美慧: そうなんですよ!

 

とみ: 偶然のように見えて必然だったのかもだわね〜。

 

美慧: 読者さんのテンションも私たちの時と一味違って、楽しそうだから音譜

    また出演してもらおうかな〜って感じています照れ

 

とみ: うん。いいわね〜。

    このブログのにニャさき(韮崎)特派員としてとか?

    あら、ニャー語が移ってしまったわ。

 

美慧: あ〜!いいですね!!そうしましょう爆  笑

    さてさて、とみさんはGWは?

 

とみ: 私は、いつもと変わらないわよ〜。

    GWは帰省もなかったから、

    静かにのんびりしたわ〜。

    でね、武田氏の本も読んだりしてゆっくりしたんだけれど、

    ニャーちゃんが、武田八幡宮を案内してくれた時に、

    国主になった年に本殿が出来上がり、その儀式があったと

    話してくれたじゃない?

 

美慧: はい、そうでしたね。

    

とみ: ずっと数年かけてこの本殿を新しく作り直していた信虎公ではなく、

    新たに国主になったばかりの信玄さんが武田家の氏神を祀る

    武田八幡宮の竣工を取り仕切る、とは その後の信玄さんの隆盛の歴史を見ると

    なかなか因果なものを感じたりしたかしらね…。

 

美慧: びっくりビックリマーク神々など目に見えない世界からもしかしたら信玄さんは選ばれていた、

    ということですか???

 

とみ: これは断定できるものでもないし、もちろん分からないけれども、

    このような巡り合わせということがあるのだな…とシミジミと

    武田八幡宮に思い巡らしたわ…。

    でね、そもそも信玄さんが国主になった(=家督を継いだ)前後の年は、

    なかなか大変だったようなの。

 

美恵: どんな風にですか?

 

とみ: 信玄さんが国主になる前後3年の時節を簡単に紹介すると

    ざっとこんな感じになるわ。

 

    1540年

    4月   信虎公、佐久郡へ侵攻

    5〜6月 暴風雨や大雨による不作と疫病が流行し大勢の死者が出る。

         この前後、戦いへの動員が続いたため、民衆の不満は募ったとの記録もある。

    11月  諏訪頼重の元に、信虎公の娘 袮々が嫁ぎ結婚

 

    1541年 

    春     昨年の災害が響き、当時の100年間にないと言われるほどの

          餓死を人や馬にもたらした。

    5月   信虎公、小県軍に侵攻。

    6月   信虎公、今川義元と娘(義元の妻で信虎公の娘)に会いに駿河へ。

                          武田晴信公(信玄公)、国境を封鎖。

          家督相続の儀式を実施し国主へ。 

            7月   小県群の海野に上杉憲政が侵攻。5月に攻めた小県群の領土は上杉軍のものに。

   8〜9月    大風がたびたび吹き被害をもたらした。        

          12月         武田八幡宮 本殿竣工。

 

     1542年

        1〜3月  歌会を頻繁に開催。

    6月   諏訪へ侵攻。

    7月   諏訪頼重、武田晴信の和談を受け入れ和睦。

          しかし、甲府への護送の後、状況は一変。

          東光寺へ幽閉の後、頼重に自害を命じる。

          諏訪頼重、切腹にて自害。

   8〜10月   諏訪氏の戦後処理および一族の制圧

    秋     大風が三度吹き荒れ、農作物が不作となり餓死者が多数出る。(3年連続)

    12月         武田晴信公、禰津夫人と祝言 ← 諏訪料人との説も。

 

美恵: こ、これは…。

    災害続き…。疫病とダブルパンチの時もあるわけですね…。

    そして諏訪侵攻は…。

 

とみ: うん。諏訪氏の話ね…。

    それはまたいつかゆっくりしましょうね。

    まずは、そう。災害続きで多くの死者を伴った、ということが

    連続して続いていた、ということなのよね。

    年によっては、当時の民衆の主食としていた大麦さえも食べられなくなり、

    野草などで食べ繋いだ、という年もあったと書かれている時もあるわ…。

    当時は、食べること、暮らすこと、戦うことで国を護ることに

    精一杯だった時代なのだな…と改めてね…。

 

美慧: 確かに、今の時代、

    新型コロナで生まれて初めての経験をしている私たちですが、

    

    命を脅かされるまでのような災害は…起きていない。

    災害が起きたとしても食べ物は…十分ある。

    疫病も…治っている方々もたくさん出ている。

        この先もっと治せる薬がどんどん作られていく。

    気をつけるために情報だって…簡単に手に入れることができる。

    離れた人とも…言葉を交わすことはできる…。

 

とみ: そう。比較するということでもないかもしれないけれども、

    信玄さん時代の方々からすると

    「恵まれているんですよ、あなたたちは。大丈夫ニコニコ

    と言われているような気がしたかしらね。年表を振り返りながらね…。

 

美慧: 確かに…。

    

とみ: 現代人の煩悩はなかなか贅沢になっているということなのでしょうね。

    新型コロナによって人々の暮らしは大きく変わったのでしょうけれど、

    私たちのこれまでを振り返る、という時間をくれた、という側面も

    ありそうだわね…。

 

美慧: そうですね。このような時にあったとしても

    日々、恵まれている、ということに感謝ですね…照れ