こんばんは。ブログ管理人の高坂 美慧です。

 

本日は甲府市内にある信玄堤について、

 

武田 とみさんとお話しします。

 

美慧:とみさ〜ん、先日こちらのお話の時に出た、

   甲府市内の信玄堤、行ってまいりました!

とみ:まぁ、ご苦労さま!

   どの辺だったかしら?釜無川の印象が強かったけれども。

 

美慧:はい、それが、甲府市荒川二丁目付近の河原付近に当時のミニチュアの

   堤を見ることができます。

   

   史跡学習公園 信玄堤

   公園の看板によりますとこう書かれていました。

   「信玄堤とは、16世紀の武田信虎、信玄の治世下に築造されたと

    伝えられる堤防のことです。釜無川と御勅使川の合流点の

    竜王町高岩付近のものが有名であるが、荒川でも甲府市山宮町付近から

    大里付近に築造されました。

    信玄堤のほとんどは消失しましたが、荒川二丁目地先にはその一部が残存し

    石積み堤と樹林にその面影を留めています。」

   とありました。

 

とみ:すると、美慧ちゃん、この本文で、「ヘえ〜びっくり」と

   感じたわね?

 

美慧:分かりました?

 

とみ:分かるわよ〜ニヤリ 信玄堤は”信虎、信玄の治世下”というね。

 

美慧:そ〜なんです爆  笑 信虎公の時代から手がけていた、と。

 

とみ:そうなの。信虎公も着手していた、と確認されているのよね。

   だから、信玄堤は信虎堤でもあり、長い年月、二代に渡って  

   作り上げられた ”親子堤” でもあるわ。

   信虎公が暴君ではなかった、という証にもなるわよね。

 

美慧:”親子堤”って響き、なんかいいなあ〜照れ