こんばんは。ブログ管理人の 高坂 美慧です。

 

濃厚な武田氏研究会の記念シンポジウムから一夜明けました照れ

 

この話はいつか一部をこちらに書いていけましたら、と感じております。

 

今回は、武田 とみさんと、「いい風呂」の日にちなんで、

 

「信玄の隠し湯」についてお話しします。

 

とみ:紅葉が綺麗になったと思ったら、ハラハラと葉も落ちて、

   朝夕はだいぶ冷えて来たわ。

 

美慧:はい、温泉が恋しい季節になって来ましたね〜。

   そして、11月26日は「いい風呂の日」で。

 

とみ:そうね、この寒い山梨で信玄さんが温泉開発を行ったのは

   本当に納得だし、信玄堤と並んで、いまも現役。

   で、いろいろある ”信玄の隠し湯” の中で、どこのお話をする?

 

美慧:今回は、湯村温泉で〜す!

 

とみ:あら、甲府市内からね。

 

美慧:はい。昨日の武田氏研究会でも甲府に館を構えるにあたり、

   西側の湯村山が天然の要害の役目を果たした、と説明されていましたし、

   数々の昭和の文豪が利用されていましたから、

   この「甲陽文寛〜甲斐武田2019−2023〜」も少しでもあやかりましょう、とニコニコ

 

とみ:いいんじゃないかしらニヤリ

   確かに昨日も湯村山の話は出たわね。実際に、湯村山に城跡はあるわ。

   これは信虎公が躑躅ヶ崎館(甲府市)に移転するにあたり築城したという説、

   信虎公以前の代が築城した、あるいは武田ではない一族などいろいろな説があるの。

   誰が築城したかは断定できないけれど、信虎公が躑躅ヶ崎に館を構えた時に

   甲斐の都の西方を守護する重要な拠点となったということは間違いないわ。

 

   そして、湯村温泉は実際に信玄さんが湯治をしたと「甲陽軍鑑」にも載っている。

   それは、1548年「塩尻峠の戦い」で、信濃守護 小笠原長時との戦い。信玄さん27歳の時。

   この戦いで勝利した信玄さん自身が傷を負って湯治のために湯村に滞在したそう。

   この年、信玄さんは2月に「上田原合戦」で村上義清と戦い、人生初の敗戦に追い込まれ、

   若き信玄さんを当主に押してくれた重臣 板垣 信方や甘利 虎泰などが一度に

   何人も討ち死にするという武田軍としてかなりの大きな痛手を受けていた。

   そして7月の「塩尻峠の戦い」。戦力動員数からは不利と考えられた武田軍が

   相手をよく分析し、勝利。9月には「前山城攻防戦」と…。

 

美慧:湯治してすぐまた戦いですか…。

 

とみ:武士は戦うことがお仕事だったから。もっと戦っている年もあるわ。

   信玄さんの戦いは全部で63戦、その中で敗戦は4つだけ。

   戦国最強と言われる所以でもあるけれど、前の戦いで

   自分を押してくれた家臣を幾人も亡くし人生初の敗戦を経験して、

   臨んだ「塩尻峠の戦い」、そして無事帰還しての湯治。

   1548年の若い信玄さんは、何を想いながら湯村で過ごしていたのかしら?

   そして、この1548年に起こったことは信玄さんの中で後から見ても

   忘れられない年になったのではないかしら。

 

美慧:…そうですね。だからこそ強い信玄さんになっていったのかもしれませんね。

 

とみ:…と、信玄さんの頃の湯村に想いを馳せてみたのだけれど、

   湯村山には、古墳があったり、弘法大師が開いたお寺もあったり、

   古くから歴史のある温泉郷だったのよね。

   美慧ちゃん、その辺りのことを含めて、皆さんにご案内よろしく〜ウインク

 

美慧:はい、わかりました!

   湯村温泉郷はホームページがあり、いろいろな湯処、観光スポットを紹介しています。

   甲府 湯村温泉郷

   とみさんがおっしゃった、弘法大師が開いたお寺は

   真言宗 智山派 塩澤寺

 

   です。弘法大師自らが彫刻したとされる厄除地蔵大菩薩さまがいらっしゃり、

   毎年2月13,14日にはその厄除地蔵尊さまの大祭が行われ多くの参拝者が

   いらっしゃいます。

   そして、この湯村温泉には、弘法大師さんが岩に杖をついたところから湯が流れ出た、

   との伝承も残っています。

   

   

 武田信玄公をはじめ、葛飾北斎、昭和の文豪 井伏鱒二、太宰治、松本清張 にも愛された

 湯村温泉郷。

 ぜひ一度温まりに来てくださいニコニコ