再審という名の迷路
法廷の空気と法は誰のためか
第三回
再審という名の迷路(3)
法廷の空気のなかで、法は誰のために働くのか
前回は、「三審制」や「法的安定性」という言葉が、
再審の場でどのように働いているのかを考えました。
最終回では、再審が本当に機能するために何が必要なのか、
裁判官と検察官という二つの存在に焦点を当てて考えます。
法の条文を整えることは大切です。
けれど最後に問われるのは、
法廷の空気の中で、誰がどのように正しさを支えるのかということなのだと思います。
三回目は、そのことを書いて終わりにしたいと思います。
再審制度の議論は、どうしても入口に集中しやすい。
証拠をどこまで出させるか。
検察官抗告を認めるか。
再審開始の要件をどう考えるか。
それらはどれも重要である。
だが、本当に重いのは、その先に何が待っているかだと思う。
やり直しの裁判が始まったとき、そこで法は何を回復しようとするのだろう。
一つの誤判を正すことだろうか。
もちろんそれはそうだ。
けれど、それだけでは足りない気がする。
誤判そのものよりも、その誤判を生み、長引かせ、
見えにくくしてきた法廷の空気を、どこまで薄くできるか。
再審の本当の課題はそこにあるのではないかと思う。
そして、その空気の中心にいるのが、裁判官と検察官である。
まず、裁判官について。
裁判官は独立している。
制度の上ではそういうことになっている。
しかし、制度の上で独立していることと、
現実の判断が空気から自由であることは、必ずしも同じではない。
とりわけ再審の場では、そのずれが大きくなりやすい。
なにしろそこには、すでに過去の司法判断が積み重なっている。
第一審、控訴審、上告審。
確定判決。
長い年月。
そして世間の視線。
そのうえでなお、
「この事件をもう一度開くべきだ」と言うことは、
単に条文を適用するだけの作業ではない。
過去の司法そのものに、一定の距離を取ることを意味する。
これは、理屈以上に心理の負担が大きい。
今回の見直しの中で、
原審などに関与した裁判官の除斥や忌避が盛り込まれたことは、
この問題を制度の側が認めたことを意味している。
一度深く関与した裁判官を、
その後の再審請求審や再審公判から外すことで、
先入観や自己正当化の影を少しでも薄くしようとしたのである。
それは前進だと思う。
だが、それは同時に、裁判官の独立が理念だけでは足りないことを示してもいる。
独立とは、宣言すれば成立するものではなく、
空気に流されにくい条件を整えることで、はじめて現実のものになるからだ。
再審請求審では、確定判決を動かすことそのものに重みがある。
再審公判では逆に、すでに「冤罪ではないか」という世間の空気ができあがっていることが多い。
つまり裁判官は、一方では過去の司法判断の威圧、
他方では現在の世論の圧、
その両方に引かれながら判断する。
上にも下にも、前にも後ろにも引っ張られる。
独立とは、その綱引きのなかで、ただ証拠と論理に寄りかかることである。
だが、ここで問われているのは、裁判官が勇敢であるかどうかではない。
もっと冷たい問いである。
勇敢でなくても、なお公正な判断に近づける制度になっているかどうか。
人は、空気に弱い。
出世にも、組織にも、世評にも、過去の自分にも弱い。
だから制度は、本来、その弱さを見込んで設計されなければならない。
それなのに司法の世界では、
ときに「裁判官は独立しているのだから大丈夫だ」という言葉だけが先に立つ。
だが、独立していることになっている人が、
本当に独立して判断できる条件を持っているかどうかは、また別の問題だ。
再審は、そのことを剥き出しにする。
だからこそ、本当に必要なのは、裁判官の人格に「勇気」を要求することではない。
勇気に頼らずとも、公正に近づける制度を整えることである。
たとえば、再審に関与した裁判官を丁寧に切り分けること。
判断理由を、通常以上に明確に書かせ、あとから検証可能にすること。
そして何より、「確定判決を動かす判断は危険である」という無言の空気を、
制度の側から少しでも弱めることだ。
司法の威厳は、誤りを絶対に出さないことではない。
誤りを修正できることの中にこそ、威厳は宿る。
裁判官の独立とは、その修正可能性を現実のものにするための条件なのだと思う。
次に、検察官について。
再審の場に立つ検察官には、ふだん以上に難しい役割が課される。
なぜならそこでは、国家の側が、
過去の自分の判断をもう一度点検しなければならないからだ。
原事件の立証は本当に妥当だったのか。
見落とされた証拠はなかったのか。
供述の信用性は、年月を経たあとでもなお保てるのか。
そうした問いを、検察官は本来、勝敗ではなく公正の側から見なければならない。
しかし現実には、ここに組織の影が差す。
原事件を支えた検察庁や、その延長線上にある検察官が、
そのまま再審の場にも濃く関わるとき、
「自分たちの過去の判断を守りたい」という力が働くのは、ある意味では自然である。
人間は、自分の誤りを認めるのが苦手だ。
組織であればなおさらだ。
しかも検察は、国家の刑罰権を担う機関として、
日常的に有罪立証という役割を果たしている。
その慣性が再審の場にも持ち込まれれば、
公正のための制度が、組織防衛のための手続に変質しかねない。
今回の法案論争がこれほど熱を帯びたのも、まさにそこだろう。
再審開始決定に対して、検察官にどこまで不服申立てを許すのか。
答申は、その禁止には踏み込まなかった。
その後の政府提出法案も、少なくとも当初は、
検察官抗告をなお維持する方向だと受け止められ、自民党内からも強い反発を受けた。
これは単なる政治的駆け引きではなく、
検察官という存在に、国家が何を期待するのかという問いでもあった。
けれど、僕がここで本当に気になるのは、権限の有無だけではない。
その権限を、何のために使うのかということだ。
制度があるから使うのか。
負けた形を避けたいから使うのか。
それとも、本当に事実認定の吟味に意味があるから使うのか。
この違いは、法文の上では見えにくい。
だが、法の正しさはまさにそこに宿る。
検察官は、本来、公益の代表者である。
その言葉を本気で受け取るなら、
公益とは「一度起訴した以上、最後まで有罪を守ること」ではないはずだ。
公益とは、真実に近い結論へ向かうことだろう。
たとえそれが、
過去の捜査や立証の誤りを認めることであっても、そこから逃げないことだろう。
有罪を勝ち取ることが検察の名誉なのではない。
公正を守ることが検察の名誉である。
再審の場では、その原点がもっとも厳しく試される。
そして、この点もまた、個人の美徳に還元してはならないと思う。
「立派な検察官がいれば大丈夫だ」という話ではない。
立派でなくても、普通の人間であっても、
なお過去の組織判断に引きずられにくい制度になっているかどうか。
そこが問われている。
人は自分の誤りを守ろうとする。
組織はなおさら、自分の誤りを歴史にしようとする。
だからこそ、再審における検察の役割は、
「戦うこと」より先に「疑い直すこと」でなければならない。
もしそこが逆転すれば、
再審は冤罪救済の制度ではなく、
国家が自分の過去に最後までしがみつくための制度に変わってしまう。
法は、人を罰する。
法は、人を裁く。
だがその前に、法そのものが、自分の正しさを疑うことができなければならない。
再審とは、国家がその能力をまだ失っていないかどうかを試す制度である。
裁判官が、過去の司法判断の重みから少しでも自由でいられるか。
検察官が、組織の体面から少しでも自由でいられるか。
その二つができないなら、どれだけ条文を整えても、再審はまた別の迷路になる。
逆に言えば、その二つが支えられるなら、
再審はようやく、制度としての誠実さを持ちうる。
今回の再審法案をめぐる紛糾は、
条文の細部の争いのように見えながら、実際にはもっと大きな問いを投げている。
国家は、自分の誤りを訂正できるのか。
それとも、自分の体面を守るために、訂正を遅らせ続けるのか。
法は誰のためにあるのか。
その問いに対して、せめて再審という制度だけは、
人間の側に立っていてほしいと僕は思う。
だが、ここまで書いてきて、なお少し怖いのは、
国家はたぶん、そんな問いに簡単には答えないということだ。
法は、ときにとても静かで、礼儀正しく、
正しい言葉を使いながら、人を長く見捨てる。
しかも見捨てたことを、自分では見捨てたと思っていない。
そこにこそ、法のいちばん暗いところがある。
再審制度の見直しが本当に問われているのは、
条文の技術ではなく、その暗さを国家がどこまで直視できるかだろう。
もし直視できないなら、再審という迷路はこれからも残る。
扉を少し広げても、廊下が長いままなら、人は結局、出口の前で老いていく。
法が誰のためにあるのか。
その問いは、まだ解決していない。
たぶん国会でも、法務省でも、裁判所でも、まだ本当には解決されていない。
だからこそ、この制度をめぐる言葉だけは、
あまり美しすぎてはいけないのだと思う。
美しすぎる言葉は、ときどき、迷路の壁を見えなくしてしまうからである。
三回にわたって、再審制度と、その背後にある法の姿について考えてきました。
法は誰のためにあるのかという問いは、たぶん簡単には終わりません。
けれど、だからこそ考え続けるしかないのだと思います。
闘病名
多腺性自己免疫症候群(型が混在)
★下垂体前葉機能低下症(リンパ球性下垂体炎により)
・副腎機能低下症(アジソン病)
・中枢性甲状腺機能低下症
・重症成長ホルモン分泌不全症
・ステロイドDM(1型糖尿病に準ずるステロイドホルモン糖尿病)
・周期性甲状腺機能亢進に伴う甲状腺炎
★副甲状腺機能低下症
★膠原病群
・全身性エリテマトーデス
・シェーグレン症候群
・ベーチェット病
★高血圧(8種類の血圧の薬)
★慢性心不全
★頻脈
★貧血
★線維筋痛症
★特発性過眠症
★慢性顎骨蜂窩織炎
★(慢性的に年4回ぐらい発症する)悪性外耳道炎(頭蓋底骨髄炎)
★足根幹症候群
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