仕事場から帰って、いまだに眠れないので擬人化について考えてみました。

もう文字まで擬人化されているらしいのですが、

よーく考えると、貴人化って、少なくとも



有史以来ずっと有るんじゃないか!



ということにようやく気付きました。

特に神様とか神様とか神様とか……。最たる例が日本ですね。

そういう意味では日本の歴史=擬人化の歴史かもしれません。

太陽に、島に、森に……。何しろ八百万ですから。


なんて事を考えていると、否定するわけじゃありませんが、キリスト教とか

あの辺は根本から矛盾してるんじゃないかと思い至りました。


神は6日で世界をつくり、最後の日に休まれた=安息日=日曜日、でしたっけ?

うーん、


「わっちにはわかりんせん。教会はいつから喜劇を扱うようになったんじゃろか」


耳と尻尾をもつ豊穣の神の声が聞こえてきます。

神様の6日がとても長いという理屈は分ります。ただ、

神様は現在お休み中なんじゃありません? だって、日曜に休まれてそれ以降

何してらっしゃるのでしょう。

ここから導かれる答えは、

1.神様は今もなおお休み中

2.神様は寝た振りをしている

3.神様はどこかへ行ってしまった

4.神様は今何かをしてらっしゃるが、現在進行形の神の行動は見えない

5.神様は死んでしまった

6.神様なんていなかった。全ては人間の空想


こんなものでしょうか。

人間の自然や災厄などに対する畏怖の念を擬人化して信仰するのが宗教だったり、

あるいは宗教の名を借りた哲学であったりするんじゃないかと思うのです。

仏教は宗教だけど哲学っぽいし。

この観点からいくと、日本の八百万の神信仰は便利ですね。何でも神になります。

誰でも神になれます。あなたも神、私も神。空気すら神です。もしかしたら

くらげの中の緑色蛍光なんとかも神さまかもしれません。

素敵な事ですねぇ。

つまり何が言いたいかというと、擬人化万歳という話。

堅っ苦しく考えると、宗教は政治の道具、統制の根拠なのですけどね。

いや、現代日本では違いますが。

(日本が一神教でないから明治時代に統治上(略)なだけで、教育勅語とか

はたとえばアメリカで大統領就任時に手を当てる聖書みたいな役割なので、

現人神は別に良いのではないかと。イギリスとかだと一神教だけど神の名において

統治を許された王(女王)が国をつかさどる、とかね)


あぁ、「女神」のおかげで神とは? などとあれこれ必死になって考えてた後遺症が

出始めました。

そうそう。これを最後まで読まれた方へ質問です。


神様は世界を作って、何か得られるものが有ったのでしょうか。

また、神様の思うとおりになっているとして、神様は何か楽しいのでしょうか。

何でも願いが叶ってしまうとつまらないと思うのですが、神様にそういう意思は無い

のでしょうか。


続編を加筆修正しているうちにこの疑問にぶちあたっています。

うちの「女神さま」は「人間の言葉でいうところで<神>が一番近い存在」なので、

退屈しないのかもしれませんが、そろそろ彼女、退屈しそうです。

その前に彼女のわがままのおかげでこちらが疲れてきましたが(笑)