こんばんは。

今回は、前から書こうかどうかかなり迷っていたことなのですが、数年後の自分が読むことも想定しつつ、6歳の次女の「介護」について書こうと思います。以下、一気に書きますので、文の繋がり等、変なところもあるかもしれませんがお許しを。


次女は、レット症候群という国指定の難病で、6歳ですが言葉は一言も発することができず(泣くことや笑うことはできる)、手でものを掴んだり、言った通りの方向に歩いたりすること等もできません。排泄や入浴、着替えも自分では全く何もできません。

知的障害としては最重度のランクとして判定されています。


現在は障害者を専門にみる幼稚園に通っており、今年の春からは支援学校の1年生となります。


体重は現状で15kgほどあり、ざっくりとしたイメージとしては生後9か月の赤ちゃんがそのまま6歳になった感じです。家では車椅子ではなく普通に生活していますが、外出する際はベビーカーや車椅子が必要となることが多いです。ちなみに夜泣きすることはなくぐっすり眠ってくれます。


現在、私の勤務日は夜に行政の支援によるヘルパーさんが家に来て、食事や入浴、排泄などの介助をしてくれています。

とはいえ、次女の介護は普段、ほぼ妻に頼りきりの状態です。私も朝食の介助や幼稚園の送り、休みの日の夕食や入浴、寝かしつけなどを担当していますが、夜勤の日は当然、帰ったら次女は寝ついている状態で、それまでの時間はすべて妻かヘルパーさんが色々とやってくれている、ということです。


ここからは多少、懺悔めいた文章となります。

少し前まで、私は次女が泣いたり、不機嫌になると、自分自身も(よく言えば)寄り添いすぎて過剰に反応してしまうところがありました。

しかし、妻や長女のアドバイスもあり、今後は、次女がいくら泣き喚いていても、「そうしたい時間なのだ」と割り切って、過剰に気にしないようにしよう、と、この正月休みで決めました。

無関心になるのではなく、「気にしない」ということです。もちろん、サインのようなものがあれば受け止めて対応します。

まともに取り合っても、それで泣き止むということはない。落ち着く音楽等を聴かせたり、外に連れていったりとか、過ごしやすくはしますが、とにかく「過剰には反応しない」。

なかなか説明が難しいのですが、たぶん、障害者の子供を持つ親御さんならこの気持ちが分かってくれると思います。


その決心とともに、「気にしない」ことにより自分の限られたリソースをもう少し自分自身に割いていきたいなあと思うようになりました。

ここ12年は、次女の対応で自分の自由な時間が奪われることが本当に嫌で、なんとかしたいけどでもどうにもならない、という負の連鎖が続いていました。昨年3月頃から行政と相談して身体介護のヘルパーさんに週数回、来てもらうようになってから劇的に改善しましたが、まだまだ自分のマインドセットができていなかったと今では強く反省しています。そして仕事上でも週刊誌のほかのメンバーに色々と迷惑をかけてしまいました(これは、今後も続くと思います、すみません)。これも、迷惑をかけることで自己嫌悪に陥る悪循環でした。


次女の障害により、家族全体の行動が制限されるという事象は今後も続きます。たとえば、家族全員で映画館に行けないとか、電車や新幹線に気安く乗れないとか(帰省の飛行機は、次女が騒いでしまわないようにお気に入りの動画を見せ続けるなどしてかなり騙し騙し乗っています)。私自身も飲み会などの集まりに参加できない曜日が大半です。妻や、小学校高学年になる長女(健常者)も色々我慢していることと思います。


しかし、そういう状況だからこそ、それを悲観的にとらえるのではなく、むしろプラスの面を探して、楽しむことが何より大事だと今は強く思います。たとえば、次女は車での移動が大好きなので、それを増やすとか(北海道への帰省も今後は車でと考えています)、次女は機嫌がいい時は長時間ギャハハと何が面白いのかものすごく笑って、ものすごく純粋無垢で、ものすごく可愛いので、その「普通の6歳ではない部分」を親として享受するとか、ヘルパーさんや幼稚園のつながりを大切にするとか(これは私は現状まったくできていませんが)。次女は自閉症の側面もあるので、休みの日の昼間は穏やかに一人で過ごせるように部屋の配置を考慮したりとか。


色々書きましたが、ほとんど全て妻が教えてくれたことなのです。妻には本当に感謝していますし、今後は行動で示していかないとと思います。


あと、一つあえて強調したいのは、障害者の親ってけっこう大変ですよと。これは明確に主張しちゃいたいです。万が一、この文章を読んでいる似たような境遇の方がいたら、同じように堂々と主張して、周りに助けを求めて良いと思います。そのほうが健全です。

(認知症の親、寝たきりの親を介護している方の大変さなども、いまの私は深く理解できると思います)


前回のブログで書いた2024年の目標「敏感にならない」というのは、以上のようなことです。(そこまで誰も熟読してないw


気にしても何も改善しない。無駄とは言わないけど、どうしようもないことで悩まない。

改めて、教えられている、勉強させていただいている日々という感じです。


いつも通りまとまってませんが、あえて推敲せずこのまま。


ではまた!