1月19日、今本当に望まれている“被災者支援”“被災地復興”の在り方を考える為、東京の反原発派として単身、福島市“福島テルサ”にて開催された法務省主催のシンポジウム『震災と人権 一人一人の心の復興を目指して』に参加して参りました。
その時の報告のまとめをTogetterから抜粋致します。
今回招待・同席して頂いた
“福島人権宣言を考える会”
の方々の御厚意に、この場を借りて改めて厚く御礼申し上げます。
福島人権宣言URL:http://home.v05.itscom.net/ans-law/nomuralaw/ren_quan_xuan_yan.html
TogetterURL:http://togetter.com/li/443759
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(以下まとめ)
シンポジウム『震災と人権』。東京の反原発派の原則的立場として「私情を抜きに被災者支援要求の一助となる事を望んでいる」「如何なる理由があろうと福島
への差別主義を許さない」「政府・東電を利する被災者の分断には与しない」という旨を改めて福島人権宣言の方々に確認する事が出来たのは大きい。
『震災と人権』。常圓禅寺住職、福島復興プロジェクトチーム「花に願いを」代表、阿部光裕氏の話。社会的なイメージの固定化からくる福島差別を定着させな
い為に、氏は自主的に除染活動・管理に携わる。現状差別被害の報告は殊の外多く、線量低減の合理性だけでは割り切れぬ意味がそこにはあるようだ。
『震災と人権』。阿部光裕氏の話。氏は「原発事故」ならぬ「原発事件(人災!)」と表現しながら、「原子力災害問題に関わる人権問題の本質」として、外部
から不当にイメージを当てはめられる差別の構造について主に言及していた。こうした切り口は私には案外新鮮なものだった。
『震災と人権』。福島れんげの会代表、金子久美子さんの話。れんげの会では主に震災・津波・原発事故の遺族のグリーフ(悲嘆)サポートをしている。時が経
てば経つ程、周囲と時間の進み方が違う事に自責・後悔を募らせてしまう御遺族の方々がいる。傷ついた心を分かち合いサポート出来る場所が必要。
『震災と人権』。金子久美子さんの話。グリーフ(悲嘆)感情の捉え方として、 ①人として当たり前の感情である事 ②自由に表現する権利がある事
③言う言わないを選択する権利がある事 を前提としつつ、感情に自由になれる場所、同様の体験をした人同士想いを共有出来る場所が社会には必要不可欠。
『震災と人権』。東大アイソトープ総合センターセンター長、児玉龍彦氏の話。放射性物質に関する疫学データの説明と、安全基準の数値論に囚われてきた行政・科学者の失敗と責務について言及。今回のイベントで唯一リスク評価と被曝防護に直結したテーマであった。
『震災と人権』。児玉龍彦氏の話。氏は被災住民の人権を守る為に次の八点を提起する。①帰還困難自治体には新しい町を建設する必要がある。②汚染された住
宅地、田畑の除染は被災者である住民が計画を選ぶ権利をもち、自治体が主導する。処分場、焼却場の建設では住民の同意を元に当該地主体に進める。
③汚染自治体内に若い夫婦と子どもの為の低放射線住環境を作る。④浜通りの交通機関の復旧を最大限加速化する。⑤森林の除染につきバイオマス発電も含めた長期計画を立案する。⑥河川、湖沼、海底への汚染を正確に評価し、除染の計画を立案する。
⑦科学者、専門家のコミュニティへ被災者の権利擁護を徹底させる。⑧以上の事を国費で保障する。
『震災と人権』。福島大学子どもの心のストレスアセスメントチーム代表、筒井雄二氏の話。低線量被曝下の福島で生活する親と子のストレスとケアについて。
阪神淡路大震災を通じて学んだ教訓“PTSD対策”に偏り過ぎている面があり、長期持続的なストレス対策が放置されている現状がある。
『震災と人権』。筒井雄二氏の話。震災・津波・原発事故以降被災地には臨床心理士が大量派遣されたが、PTSDのみ想定したケア対策は、被曝防護に気を遣
う保護者と、「抑鬱」「恐怖・不安」「甘え・退行」「イライラ・集中困難」の症状の異なる子どもの心理的ストレスの実情を見誤らせる。
『震災と人権』。四人のパネリストの基調講演終了後、参加者からの質問、主催である法務省局長の挨拶を入れて、シンポジウム終了。
『震災と人権』。イベント終了後“福島人権宣言”賛同者の方々と意見交換。東京の反原発派である私の立場としては、切り口の異なる阿部光裕氏、金子久美子
氏、筒井雄二氏の三者の話は非常に新鮮に感じたものだが、被害当事者である他の賛同者の方々からは、児玉龍彦氏を評価する声を聞く事が出来た。
思うに、“東京の反原発派”と“被災当事者”の間に意識の違いがあるのは事実である。私達の発想では「被災者救済大前提。物質的にも精神的にも支援の制度
的アプローチを」と考えるが、被災当事者からすれば「福島では原発事故と被曝が既に無かった事にされている」という現実的な状況分析が先に立つ。
被災地の復興は常に被曝防護と天秤にかけられながら論じられるべき話である。こと福島(中通り)とシンポジウムを纏っていた雰囲気に限って言えば、「原発事故と被曝は無かった事にされている」という指摘は的外れでないように思う。実際福島駅についた時から違和感はあった。
今回同席した福島大学の石田葉月准教授からは、“保養”支援の重要性について御意見を拝聴する事が出来た。慢性的ストレスに曝される保護者と子どもにとっ
て、筒井雄二氏の指摘した《心のケア》を巡る現行の制度的アプローチの不備と未成熟さを民間で補う大きな意味がある、と私も思う。
被曝防護の観点から言えば、私個人はリスク評価をシビアに捉えており、「○○mSv」といった概算目安の情報以前に未知数の複合汚染のリスクまで想定は必
要と思うのだが、被曝防護がおざなりの現状では、高度なボランティア能力の要求される“保養”を全国的に充実させない事には効果を及ぼし得ない。
他の賛同者の方の話。福島県の区分、“中通り(県北・県中・県南)”“浜通り(相双・いわき)”“会津”の中でも被害と補償額はまばらであり、被災者の精
神的分断は時間が経過する程に深刻化しているとの事。この問題意識については、福島県民の対立を恐れている東京の反原発派として共有し易かった。
今回福島にて改めて強く感じた事は、「“福島人権宣言”は被災者の現状に即したニーズに沿う形で初めて起草された宣言である」という事だ。私が現場で見聞
きした事全てが“福島人権宣言”の必然性と重要性を物語っていた。この先宣言に対する非難があれば、冷静に対話を求める姿勢で待ったをかけたい。
最後に、
石田葉月先生から2月11日の学術シンポジウム
のお誘いを受けたので紹介。人権団体衡涕社として“福島人権宣言”と“子ども被災者支援法”周知の活動計画を立てつつ、運動とアカデミズムの連携を図れるよう尽力していく所存。
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(文責:代表 柴田)