『 今週のカレンダー 』
5月23日に行われました昌子さんの札幌公演の会場へ向かう
途中の『小鳥のひろば』で写しました1枚です。
飛んでいる小鳥さんもいますね・・・。
『 今週の昌子さんの出張先 』
7月 29日 (月)
東京都八王子市 ~ オリンパスホール八王子
7月 30日 (火)
千葉県 ~ 東金文化会館
8月 1日 (木)
神奈川県 ~ 厚木市文化会館
8月 2日 (金)
茨城県 ~ 結城市民文化センター アクロス
( お仕事の内容 )
7月29日、30日と8月1日、2日の4日間はすべて
『 森昌子 祝 還暦コンサート 』
~爆笑!コントで綴る昭和歌謡パート3~
『 今週の記念日 』
8月 1日 (木) ~1976年に『 どんぐりッ子 』
が発売されました。
この曲は、デビュー5周年記念映画(東宝映画)
『どんぐりッ子』の主題歌でもありました。
作詞~ 横井 弘 先生、 作曲・編曲~ 高田 弘 先生
『 今週の話題曲 』
季節(とき)の流れは早いもので
今週には、はや8月を迎え、昌子さんのラストイヤーも
残すところ5ヵ月余りとなりました。
ラストイヤーの今だからこそ
昌子さんの『圧倒的な歌唱力』を
今一度確かめてみませんか。
昨年と同じく 夏休み特集として
『天才歌手 森昌子』のすべて♪
(パート1)
を企画してみました。
ただ今回は、昨年とは違いまして
演歌系も含めたカバー曲全般で
たくさんお届けしたいと思います。
題して、
昌子さんが魅せます
『あでやかな和服姿』
の歌声の数々♪
( ご注意 )
このあと、たくさんの曲が登場いたしますので
こまめの水分補給を
お願いいたします。
1. 『 あざみの歌 』
この曲を作詞された横井 弘先生(昌子さんの
『下町の青い空』の作詞者)は戦後復員された18歳の頃
長野県下諏訪でのあざみの花に想い抱く『理想の女性』の姿を
書かれたそうです。
2. 『 からたち日記 』
この曲は当時(1958年)の『セリフ入りの曲は売れない』
というジンクスを破って130万枚の大ヒットとなりました。
作曲は、昌子さんの恩師 遠藤 実先生
歌手は、昌子さんが尊敬する人生の大先輩 島倉千代子さん
3. 『 南国土佐を後にして 』
この曲は『高知県の愛唱歌』と呼ばれていて
平成24年には、はりまや橋公園に歌碑が建立され
その除幕式では、1959年に大ヒットされました
ペギー葉山さんも熱唱されたそうです。
4. 『 出世街道 』
この曲は、1962年12月に発売され250万枚の大ヒットとなりました。
歌手の畠山みどりさん(北海道の最北端の稚内市出身)
のデビュー曲は同じ年の6月に発売されましたが
その曲『恋は神代の昔から』も150万枚の大ヒットとは驚きですね。
5. 『 愛と死をみつめて 』
この曲は、昌子さんのコンサートの第1部『昭和歌謡』
日本レコード大賞曲コーナーで何回も歌われていますね。
歌手青山和子さんが歌われ1964年の日本レコード大賞
を受賞されました。
6. 『 他人船 』
この曲は、1965年に三船和子さんが歌われヒットしましたが
1968年三船さんが交通事故により声が出なくなったため
遠藤実先生の門下生で後輩の小野由紀子さんが
歌い継ぎまして1980年には大ヒットしました。
7. 『 恋のしずく 』
この曲は平尾昌晃先生が作曲された作品で
歌手の伊東ゆかりさんは『小指の想い出』(1967年)
が大ヒットし、1968年のこの曲で2年続けてのヒットにより
中尾ミエさん、園まりさんと共にスター歌手の道へと
進まれました。
8. 『 愛は傷つきやすく 』
『愛の奇跡』でデビューしましたヒデとロザンナ
さんが1970年に発売された曲です。
ヒデの出門英さんは、昌子さんの『彼岸花』、『夕子の四季』
などの作曲者でもありますね。
9. 『 矢切の渡し 』
ちあきなおみさんが1976年に『酒場川』のカップリング曲
として発売されましたが、1983年に細川たかしさんなどとの
競作となってしまいました。
10. 『 九十九里恋唄 』
1979年1月放送のNHK『あなたのメロディー』への応募曲で
アンコール曲としても選考されました。
『彼岸花』に続く曲として、シングルカットは無理でしょうが
せめてアルバムに収録して欲しかった1曲でしたね。
11. 『 恋人よ 』
この曲は五輪真弓さんがデビューされた当時の音楽
プロデューサーの木田高介さん(1980年5月交通事故により死去されました)
を想って書き上げて同年8月に発売され、大ヒットしました。
12. 『 さざんかの宿 』
作曲者の市川昭介先生は、この曲の出来栄えに手応えを
感じていたようで曲を書き上げると直ぐに大川栄策さんの自宅
へ行って玄関先で彼の帰りを待っていたという逸話があるほどです。
13. 『 哀愁波止場 』
作曲・編曲の船村徹先生は美空ひばりさんのきれいな
ファルセット(裏声)をいかそうと考え、この曲を完成しました。
ひばりさんの母親(加藤喜美枝さん)の猛反対に遭いながらも
何とか発売にこぎつけた結果、大ヒットとなりました。