地元の人々から「おかるてんさん」の愛称で親しまれてきた金倉寺の訶利帝母(かりていも)
さま。
鬼子母神(きしもじん)さまとも呼ばれ、子授けや安産、また子供や女性の守り神さまとして古くから信仰されてきました。
一般に訶利帝母さまといえば女神像、鬼子母神さまといえば鬼神像をされていることが多く、
金倉寺のおかるてんさんも女神像になります。
金倉寺とおかるてんさんの縁は古く、
今からおよそ1200年ほど前の弘仁9年(818)のことになります。
境内で遊ばれていた智証大師さまの前に突如女神さまが現れ、
「私はあなたの仏道修行を守護しましょう」とおっしゃいました。
この女神さまこそおかるてんさんであり、
その御影を刻んで訶利帝堂にお祀りしたのが始まりです。
またこのおかるてんさん出現の話は日本最古の記録であるため、金倉寺のおかるてんさんは
【日本最初出現訶利帝母】ともいわれています。
おかるてんさんはどうして子供と女性の守り神になったのでしょうか。
それは、お釈迦さまとの約束があるためです。
おかるてんさんに女神像と鬼神像があるのも、
そのことに関連します。
もともとおかるてんさんは、他人の子供をとっては食べるという悪い鬼でした。 その噂を聞いたお釈迦さまは、おかるてんさんをこらしめるために、500人いたといわれるおかるてんさんの子供のうち、末っ子を隠してしまわれました。
おかるてんさんが家に帰ると、
末っ子の姿だけが見当たりません。
必死になって探しますが、
どうしても見つかりません。
家を飛び出して町中を探し回ること10日、
途方にくれてとうとう泣き崩れてしまいました。
子供を失った母親の苦しみを嫌というほど味わったおかるてんさんの姿を見て、
お釈迦さまは末っ子をおかるてんさんの元に返してあげました。その時にお釈迦さまと交わした約束が、「子供を望む人には授け、苦しんでいる人々を救う」というものでした。
このお話を聞くと、改心したとはいえ、おかるてんさんはとても悪い鬼だったように思えます。
しかし、
他人の子供より自分の子供を大切にするのは、
子供を 持つ親であれば当然のこと。
その気持ちが過ぎると鬼の道になり、
一方で他人の子供を自分の子供と同じく大切にすることができれば、仏の道になる、
と私たち に教えてくれているのではないでしょうか