2015/04/29 長崎11





近藤長次郎のお墓を見に来ました。

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非常に暑く、中で迷いクタクタゲロー




小曽根家墓所
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海援隊士近藤長次郎の墓がある。墓石には小曽根邸の離れの屋敷名をとって「梅花書屋氏墓」と記されていて、この筆跡は龍馬のものといわれている




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小曽根家
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亀山社中or海援隊のスポンサーの乾堂さんの墓はここにないです。

社中のメンバーでスポンサーの小曽根英四郎さんの墓はあります。左の模様。
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#長崎#寺#寺町#墓#晧台寺#小曽根#近藤長次郎
#海援隊#亀山社中
2015/04/29 長崎⑩




寺町の方へ降りてきました。

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この立て札に気づきました、
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明暦3年(1657年)第二世住職尊覚和尚の時、長崎奉行所立山役所の門をそのまま移築したもので(形式は変わっていないが、現存は門扉のみ)、当時の奉行所との親交も深かった事がうかがえます。

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この門が気になりましたびっくり
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#長崎#寺町#寺#長崎奉行所#門#アーチ門#石#延命寺#観光
2015/04/29 長崎⑨




定番の入口を撮影カメラ
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中に入り、井戸跡もあります。
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亀山社中記念館
中は撮影できるとこ、できないとこがあります。

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亀山社中とは、
(HPより)

坂本龍馬(1835~1867)は、土佐国高知城下(現在の高知県高知市)に生まれ、江戸で剣術や砲術の修業の後、帰国して土佐勤王党に加盟しました。その後土佐を脱藩して幕臣・勝海舟の門人となり、勝塾や神戸海軍操練所に学びました。

元治元年(1864)以降操練所が閉鎖されたため、脱藩者の龍馬と同志たちは薩摩藩に保護され、鹿児島を経由して長崎にやってきます。
 そして、慶応元年(1865)夏頃、薩摩藩や長崎商人・小曽根(こぞね)家の援助を受け、日本最初の商社といわれる「亀山社中」を結成しました。


この団体は、龍馬らが最初に拠点を構えた地「亀山」と、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう呼ばれました。

亀山社中の最大の業績は、慶応2年(1866)に、長州藩のために薩摩藩名義で大量の小銃や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬に成功したことです。そのことが、慶応2年(1866)1月の薩長盟約締結へとつながり、新しい時代をひらくための足がかりとなったのです。





#長崎#観光#亀山社中#資料館#坂本龍馬#海援隊
#伊良林


2015/04/29  長崎⑧
 


 
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1995年10月28日に亀山社中創設130周年を記念して市民グループ「亀山社中ば活かす会」の呼びかけにより建立されたぶーつ像。亀山社中門前のポケットパークに建っている。



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高台にあるので眺めはいいです。

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#長崎#観光#坂本龍馬#ブーツ#展望台#亀山社中
#伊良林
2015/04/29 長崎⑦




資料館を出て、上に登ると看板がありました。
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(内容)
亀山焼登窯跡は、文化4年(1807年)大神甚5年外3名がオランダ人に売る水瓶製造の窯を築き陶器を焼いたことに始まり文化11年(1814年)白磁染付を焼くことに成功しました。
 絵付は、南画家木下逸雲などの有名文人墨客のものも多く数々の名品を遺しまいしたが次第に哀微し、慶応元年(1865年)廃窯となりました。
 今では、幻の亀山焼きとも言われ美しい南画風の絵柄ともあいまって愛好家達を魅了しています。
ここに、窯の奥壁の一部が現存していますので、この貴重な遺跡を末永く保存し後世に伝えましょう。




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石碑もありました。





#長崎#観光#伊良林#亀山焼