知り合いに出張できてもらいました。
簡易ベットをさっそく占領するせりちゃん(^^;;
夏は肌荒れがひどいのでとりあえず処置
リフトアップしてねー(笑)
足にも鍼したから疲れが取れた♪( ´θ`)ノ
反応でて、眠い💤💤
寝ます💤💤💤
iPhoneからの投稿
簡易ベットをさっそく占領するせりちゃん(^^;;
夏は肌荒れがひどいのでとりあえず処置
リフトアップしてねー(笑)
足にも鍼したから疲れが取れた♪( ´θ`)ノ
反応でて、眠い💤💤
寝ます💤💤💤
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水堀はここ一か所。
後ろに見える櫓は飯田丸五階櫓
工事中と思っていけないと思ったら内部公開してるし![]()
左の石の上にカメさんがいますw
総延長242m、江戸期名には石落や狭間があったが現在はない。

御幸橋手前にある加藤清正像
書物櫓跡にたつ熊本城の碑
馬具櫓復元事業の看板
また向きが。。。
西向きの城である熊本城本丸の全面を防備する西出丸には、南・北・西の三つの大手門のほか隅櫓などが設けられ本丸本丸を防備していた。
最も大きいのが南大手櫓門(4間×17間)で入母屋造、本瓦葺
南から登場する際は、下馬橋(現:行幸橋)を渡り、南坂(現:行幸橋)を登り、この門から本丸へ向かう。
内部からの撮影![]()
石落
鬼瓦
隅瓦かな?
隠し扉
門扉の横にある階段はコレ![]()
下からの撮影![]()
もう一つは石垣のとこ![]()

寛永9年(1632)加藤家に代わって肥後に入国した細川忠利は、この門の前で駕籠を降り、敷居を押しいただくようにして「謹んで肥後五十四万を拝領仕りまする」と深々頭をたれたと伝えられる。
城の玄関にあたる。
西出丸の西正面に位置する櫓門で、二の丸より続く大手筋を守る城の正門
南に位置する元太鼓櫓も大手を固める役目をもっていた。
廃藩置県後の明治4年(1871)、政府軍によってほかの櫓と同様に取り壊された。
昭和56年(1981)、西南戦争百年を記念して復元。
平成11年」(1999)、台風によって倒壊。
平成15年(2003)、再復元された。