伊賀上野城④城代屋敷の虎口を通過し降りていきます二の丸降りていきます白鳳門(模擬)崇廣堂は文政4年(1821)に伊勢津藩10代藩主・藤堂高兌(とうどう たかさわ)の時代に伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するため、津の藩校有造館の支校として建てられたもの。講堂は創建当時のまま今に残しています。表門です。創建当時の建物で通用口として使用された御成門です。創建当時の建物で藩主臨校の際に使用された西大手門跡東大手門跡標柱の前の通り。ここからぞろぞろ出てきた長屋門