引用メモ

素行不良のため比叡山を追い出された青年・弁慶は、圓教寺に預けられたものの、同胞の僧のいたずらで顔に墨で落書きをされ、大喧嘩に。敵なしの弁慶でしたが、そのとき投げた火の棒から山全体が大火事になってしまいました。この事件を遠因に、弁慶は京に出て義経と出会ったといわれます。





食堂内にある、弁慶の机
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弁慶鏡井戸
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護法堂拝殿(弁慶の学問所)
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  護法堂に向かいあって護法堂拝殿があります。拝殿と本殿(護法堂)が離れて建てられているのは珍らしい様式です。
  今の建物は、天正十七年(1589)に建立されたものです。
  護法堂拝殿は、「弁慶の学問所」の別名で知られています。弁慶が鬼若丸と呼ばれていた頃、七歳から十年間、この書写山で修行をしたといわれています。その時に使ったという勉強机が、食道に展示されています


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