好きな言葉④ | 壺天

壺天

安岡正篤氏の『六中観』が好きです。
 死中有活   苦中有楽   忙中有閑
 壷中有天   意中有人   腹中有書

世の中には誤用で通用してしまっていることが結構ある・・・


こんなサイトを見つけることができた。


悲報「健全なる精神は健全なる身体に宿る」ただの願望だった

      https://www.mag2.com/p/news/370510


私の記憶では、ギリシャ時代の古代オリンピック競技で体ばかり鍛えられていても、精神的な素養がない(所謂脳筋)ことを嘆いて言われた言葉だと思っていた。


スポーツに関わる人は、この言葉を断定的に使うと自分が脳筋だと大声で言っているに等しい。ここ数年、指導的立場や○○協会の方々の理解しがたい言動が話題になっているが、つまるところはこの言葉を誤用し、精神主義を振りかざし、権力と金に妄執した老害が諸悪の根源・・・ってこと?

オリンピックが目前となった今も、スポーツ界は醜聞が後を絶たない。まだまだ、明らかになっていない闇がたくさんあるように思ってしまう。


このサイトでは、歴史学者の占部賢志さんによると

 

ユウェナーリス(古代ローマの詩人)はそういう意味で使っていません。これはローマ諷刺詩集(岩波文庫)に出て来ますが、原文に忠実に訳すなら、健全な身体に健全な精神を与え給えと祈るがいいと表現するのが正しい。あるいは、健全なる精神は健全なる身体に宿れかとも言います


宿れか   


現実はそうじゃないから、そうであって欲しいという願望の言葉であると言うことらしい。


なかなかこの説明をきちんとしてくれるところがないので、このサイトを発見できてとても嬉しい。


健全なる精神は健全なる身体に宿れか