古希綴り 下書き その36 | 手作り酵素で妻の癌を治す

手作り酵素で妻の癌を治す

     ~酵素のある暮らし~

阪神大震災

 

1995117546分の大震災を、三鷹のホテルの朝の7のニュースで知ります。 

すぐに電話をしましたが通じず、本社へ出社し9時頃に社内の公衆電話からだとつながりました。 

社宅の様子を聞くと、けが人もなく被害も少ないと知らされましたが、神戸の実家へは連絡がとれていないようでした。

 

「震災の 朝の神戸の 映像に 崩れた街の 煙侘しや」

                     

神戸の高速道路やビルが倒れ、煙が上がっている街の映像を見た時、東京にいる自分が侘しく思えました。

 

その日の夕方、京都経由で自宅へなんとか帰れました。 

4日後の土曜の朝、妻の実家(神戸の須磨)へ50ccのバイクに差し入れを積んで向かいます。 

武庫川を渡り、前に住んでいた街に入ると、2号線が大きく分断されていたので、浜通りへ向かいましが通行止めで、こんどは山沿いに向い通行できる道を探しながら5間ほどかけて到着できしました。 

実家は震災の影響が少なく、両親も元気です。 

翌日の帰りは、3間ほどで帰れました。

 

「家つぶれ バイクで走る 冷たさよ」 季語:冷たさ 三冬

 

周りをできるだけ見ないようにバイクで走りましたが、風が涙をさそっていました。

 



 

1年後、寅さんの映画が話題になります。 

そして、その映画(男はつらいよ 寅次郎 紅の花 第48作)は、渥美清さんの最後の映画となりました。 

しかし、世界最長の作品数の映画シリーズ(48作/26年)として、ギネスブック国際版に認定されます。

 

「寅さんの 花で励ます 神戸かな」  季語:花 晩春

 

はじめての神戸での寅さんでしたが、19968月に寅さんは亡くなりました。