悟りを何か漠然と考えている人は一生、悟りは開けないんじゃないかと思う。
悟りは与えられるものじゃないでしょうに。
与えられたものは悟りじゃないでしょ。
自力で得られてないのだから、与えた人の悟りではあるかもしれないけど。
そもそもゴールが何かもわからずに旅立てば、行き着く先はどこでもないでしょ。
ゴールがないんだから。行きたいところを決めてないんだから。
死ぬまで旅をし続ける未来しかないでしょ。
悟りを世の中の真理というのなら。
閃いたことを悟りというけれど。
たまたま閃いていいこと思いついた。それが悟りなわけないでしょ。
なぜ肉体に縛られてるのか考えたことはないのか?なぜ他人の体に入れないのかは考えたことはないのか?
自分と他人を分けるために肉体にあえてはいってるだけでしょうよ。
肉体がなければ境がなくなってしまうからでしょうよ。
個になるために必要だから肉体にはいってるだけでしょうよ。
生きてるというのは個人として有ることができるということで、死ぬということは個人じゃ無くなるということでしょ。
悟りは万人ウケするものである必要はないはず。
肉体にはいって、個人として産まれた以上。
自分一人で考えろ。自分個人としての答えを導き出せ。というお達しでしょ。
悟りに万人ウケする必要があるなら、そもそも個人である必要はないはず。
肉体という1人部屋を、1人で考える時間を与えられてるのに。
自分にとっての真理とは何か。まず自分で仮定を定めて仮のゴールをつくる。
仮のゴールでいい。
真のゴールにたどり着くまでには。
真のゴールにたどり着いたかはきっとわかる。
自分で納得とかしっくりくるはずだから。
まずは仮のゴールを決めてそこに向かってみる。
そのゴールが違えばきっと納得できないし、しっくりも来ない。
違うならまた仮のゴールを決めるだけ。
それの繰り返しで、微調整、修正をしたほうがはるかに早く確実に悟れるんじゃないの?
まだまだダメだな。自分の何かにに乗っ取られた。スピリチュアルの話ではない。
また、それについて覚書を書かねば。