広州あんてぃーく倶楽部(KAC)の10月度活動報告になります。

 

■日程

10月27日(日)

 

■スケジュール

0745 地下鉄1号線・体育中心駅B出口集合    

0900 孫中山故里(記念館、楊殷故居、陸皓東故居)

1100 煙墩山塔

1200 食事

1345 長洲黄氏大宗祠、煙洲書院

1500 探花及第牌坊

1730 広州市内着

 

 広州にきて2年、いよいよ未踏の地であり、革命の父生誕の地である中山巡りです。

最近仕入れた『広東海南古建築地図』で念入りに見学場所の予習をして出発。

 

 

10月も末になり、ようやく広州も秋の香りが感じられるようになってきました。

今回は7名の参加者。初参加も3名で、そのうち1名はたまたま広州に友人を訪ねて

きていて、そのついでに参加していただきました。

 

 

相変わらず事前に調べた時間をオーバーして、9時半頃に最初の目的地に到着。

 

 

孫中山故里。言わずと知れた孫文の生まれ故郷をそのままテーマパークに

仕立て上げた場所です。かなり広大な敷地をテーマごとに6つのブロックに

分けているようでしたが、あいにくと工事中のところが多々あり閉鎖されて

いました。

 

 

 

映画村パートはもともと行くつもりもなく、メインの孫中山故居とその周辺だけの

見学となりました。

 

 

 

1900年代初頭の孫文クラスの人の生家は想像だにしずらいのですが、辛亥革命以後

に改築された部分もありなかなかに立派な家です。生家周辺しか見学できる場所が

ないこともあり、予想以上に観光客でごった返しています。

 

 

もともとこの辺りは香山県翠享村と呼ばれていた場所で、孫文の功績を称えて

中山という地名に改名した経緯があります。

 

 

村全部をテーマパークとして囲っているので、各建物に「朝議第」などの政府関連

施設の名残や「散髪屋」などの店舗を再現したような作りになっています。

 

 

 

ちなみに孫中山故居の入場してすぐの間はなぜか写真撮影禁止。

 

 

台所や風呂場スペースを抜けるとすぐに「翠享民居展覧」があり、孫文の軌跡を

追うことができるパネル展になっています。

 

 

 

 

ぷらぷら歩きながら、各建物を見て、孫中山記念館を参観。

 

 

 

2階建ての立派な記念館です。ポイントで文物を見ながら解説。

 

 

 

じっくり見てたらここだけで午前中のスケジュールが終わってしまいそうなので、

駆け足で見て回りました。

 

この孫中山故里から次の場所まで移動距離約40分。中山市の中心地区に移動します。

目的地は煙墩山塔のある中山公園だったのですが、なぜかどの入り口も大量の警察に

封鎖されて進入禁止です。

 

まさかの展開だったので、サクッと諦めて早くも昼食に。

 

今回のセレクトは稲香海鮮点心酒家。

 

 

広州でも見かけたことはありましたが、中山にて初来店。名物の焼鵝

(ガチョウの丸焼き)と飲茶に舌鼓。美味でした。

 

 

 

午後のスタートは、黄氏大宗祠。明の万暦年間の創建。清の乾隆年間、1930年、

1998年に重建されています。門構えからして立派です。

 

 

 

 

広東ならではの伝統を感じられる手工芸に見とれていたら、なんと担当者に電話したら

中を見せてくれるという張り紙が貼ってあったので早速電話してみる。

 

 

 

待つこと10分。チャリに乗って黄さん一族の方がダッシュでやってきてくれました。

しかも、宗祠内を事細かく解説してくれます。素晴らしいサービスや。

 

 

 

建築物については調べていたので説明もよくわかりましたが、突然木彫りの龍を

持ち出して「木龍」別名「酔龍」という伝統舞踊を踊り始めた時には何事なのか

よくわかりませんでした。

 

 

 

よくよくその後の解説や、帰ってから共有された動画を見て、実は毎年陰暦の

4月初8に中山の町を挙げて開催される伝統的な祭りの中の踊りだということが

分かりました。

 

 

 

お隣の小学校の中に煙洲書院があり、こちらは清の同治十二年(1873年)の創建。

学校の外からしか見学できませんでしたが、ここも各地区で構成される木龍チームの

練習場所になっているようです。老若男女それぞれにチームがあり、伝統を守って

いるとのこと。

 

 

 

次いで訪れたのは、探花及第牌坊。

 

 

 

探花及第牌坊、同治元年(1862年)の創建。この年に武科挙に第3位の探花で及第

した劉其昌を称えて、皇帝からの「欽点」乃ち批准を得て建てられました。頭頂部に

「欽点」の文字が飾られています。

 

 

 

探花及第牌坊に気を取られて周囲を見てませんでしたが、よくよくみると

周辺に文物がゴロゴロしてました(笑)。

 

 

 

龍端白衣廟、別名、谿角白衣観音廟。明の崇禎年間の創建。

 

 

谿角古塔、別名、龍端塔。こちらも明代の創建。現状はかなり最近改修された模様。

 

劉氏宗祠。

 

劉其昌を称えた牌坊があるくらいですから、当然のように劉氏の宗祠もあります。

黄氏大宗祠を見た後だけに普通感が漂います。十分立派なんですけどね。

 

 

 

劉氏の祖先を振り返ると北宋の宣和年間にまで遡るようです。

 

 

 

宗祠の中にも、劉其昌関連の貴重な資料が展示されていました。

 

その劉氏宗祠に並列して、潜庵劉公祠。

 

 

次いで、武帝廟。

 

武帝はここでは関羽を指します。名称を「関帝廟」で統一してほしい。

 

 

ここにも碉楼が残存してます。1930年代の広東ってどれだけ荒れ狂ってたのか。

盗賊の横行と抗日戦争の備えのために作られたようです。

 

 

 

牌坊に隣接する一区画は、まるで奥行きの深い西洋風な建築物が立ち並んでいます。

 

 

時間的に広州市内に戻らないと厳しくなってきたため、今回はこれにて終了。

最後の最後まで色々な文物が見れて楽しめました。

 

中山市伝統舞踊「木龍」のデモンストレーション。

 

来年の4月初8にぜひぜひ再来して「木龍」を見学してみたいです。