ついにというか、ようやくというか、とにかく旅に出ることに決めました。

 

といっても、世界を回るとか、仕事を辞めてどこかにいくとか、そういう旅ではなく、未知の世界に踏み込んでみることにしたということです。

 

ここ数週間抱えていた、もわっとした感覚。その正体を自分なりに探っていきました。そしてそれは無意識の世界にあるような気がし始めました。

 

無意識のそれは私を常に間違いのない世界、あるいは間違いができるだけ少ない世界に連れて行こうとしてくれています。これまでずっとそうです。

これはこれでありがたい。ですが、これで満足していない自分もいるのも正直なところで。

 

もし私の内側が今に満足しているのならそれでいいんです。

けど、なんかですね、「違うだろ。今は悪くはないけど、ここじゃないだろ」と。

 

表現するのがすごく難しいのですが、今の環境や状況にはすごく満足しています。本当にありがたいことばかりで、だから不満があるというのではないんです。

 

今が不満だからという理由ではなくて、描いている世界線はこんなもんじゃないだろと。誰かの強制でそう感じているのではなく、魂が叫んでいる気がするのです。

「なぜもっと自分の力を発揮しようとしない。何を怖がっているんだ」と。

 

ということで、旅に出ることに決めました。

少し前まで、
子どもの頃に壮絶ないじめを受けていたことを
人に言えませんでした。


恥ずかしくて、
情けなくて、
怖かったからです。
その頃の自分を、
ずっと抹消しようとしていました。


でも今は、
それは違うと感じるようになりました。
誰とも口をきいてもらえなかった日々。
名前ではなく、変なあだ名で呼ばれた日々。
酷いことはまだまだ他にも。
数年間、エスカレートしながら続きました。


それでもひとりで学校で時間を過ごし、
生き続けた自分。
その自分を、
なかったことにしてはいけなかったなと。


そこには恥じなきゃいけない自分、

情けない自分、
怖がらなきゃいけない自分、そんな自分はいなくて、
それは堂々と胸を張って誇らしくしていい自分なんだと
思えるようになりました。
 

誤解のないようにお伝えしますと、
だから「こうした方がいい」と言いたいわけではありません。
もちろんいじめられたことを肯定できるわけもなく、
ましてや耐えた方がいいなんてことを言いたいのでもありません。


ただ私は、そういう経験と経過のある支援者です。

最近気づいたことがあります。

それは、大分、ふわっとしたことを言われ続けて、よくわからないまま時間を過ごしてきたことがあったなと。

そして、今になってようやく「これのことだったのか」と理解ができました。

 

大切なのは、

努力じゃない、行動。

根性じゃない、継続。

忍耐じゃない、習慣。

敵は外にいるんじゃない、自分の頭の中。

届けるのは外の声じゃない、自分の内側の叫び。

 

動いて、続けて、癖づけて。

恐怖は想像であり、超えるのは自分の内側の叫びに沿って。

 

なんかシンプルなことにたどり着くまで、随分と遠回りした気がします。

でも気づいた以上、全てが近道。

 

また明日から。