2005-2006シーズンの前半戦を「3勝5敗」で折り返したアルファーズ。


初出場のALL JAPANでも早稲田大学に勝利し、続く三菱電機にも善戦。


そして迎えた後半戦のスタート。


2006/1/15に行われた代々木第二体育館での東京海上日動戦。




この日は、元大事マンブラザーズバンドの立川俊之さんと、Allieさんを迎え

ハーフタイムショウを盛上げてくれました。


歌ってくれたのはもちろん、「それが大事」。



『負けないこと・投げ出せないこと・逃げ出さないこと・信じ抜くこと、

 駄目になりそうなとき、それが一番大事』


誰もが知っている名曲です。


本当なら、楽しく盛り上がる日だったのですが、この日はこの3年間でも特に

印象に残る試合でした。


そうです、尾崎裕己 の引退試合です。


1年目のシーズンが始まる前に、重い心臓病を患い、そして手術。


誰もが選手生活の終わりを感じていたなかでの懸命のリハビリ。


そして奇跡の復活。


しかし、協会からの無常の宣告。



この日起こったことは今、思い出しても『奇跡』としか言いようがありません。


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2006/1/15 筋書きの無いドラマ



今シーズン唯一の代々木第二体育館。


一人でも多くの方に会場に来てもらいたかったので様々なイベントを企画した。


元大事MANブラザーズの立川さんに「それが大事」を歌ってもらい、Allieさんに

アルファーズのテーマソングを歌ってもらった。


ここまでは、僕のプロデュース。


でも、試合内容までは、演出できない。


まさか、あんな展開になるなんて・・・・・・




今日は、#21尾崎 の引退試合。


プライベートかつナーバスなことだけど、あえて書かせてもらう。

(多分、尾崎もブログで書くだろうし)


尾崎は、一昨年の秋に大病を患った。一緒に病院に行ったし、ご両親とも会って

話し合いをした。


そのときの結論は、「手術をして、復帰への道を探す」だった。


そして手術をして、懸命なリハビリの結果、今シーズンの開幕には選手として

コートに立った。


とても頑張っていた。


しかし、11月の終わりに、スポーツ選手の健康管理を統括する、「国立スポーツ科学

センター」から、「待った」がかかった。


『手術をして復帰した前例が無いので、調査させて欲しい』


そこで、再検査をし、最終的な判断を待った。


その回答が先週始めに、僕のところに届いた。


『検査の結果は問題ありません。いたって正常です。なので、出場停止にはしません。

 

 ただし、前例が無いのと、もし万が一のことを考えると 出場させないほうがいいでしょう。

 

 あとはチームの判断ですが、出さないという結論をだすことを望みます』


それから1週間、チームドクターやトレーナーと協議を重ねた。


尾崎とも話し合った。


尾崎と話をしていると、熱い気持ちが伝わってくる。


『俺の体はそんなにやわじゃない。例え何があっても、試合に出してくれ』


そんな話を聞いて、僕の気持ちはぐらついた。


『僕が責任をとればいい。彼を出してあげよう』


僕が「YES」と言えば、出場できるし、「NO」といえば引退だ。


正直、非常につらい判断だった。一生恨まれるかもしれない。


一時は出場にGOサインを出しかかったが、もう一度考え直した。


もし万が一、彼に事故が起こったら、きっと僕は後悔するだろうと。


そして金曜日、彼を呼び出し、最終的な結論を告げた。


『出場させることはできない』


ただし、そのまま引退ではなく、彼の気持ちを整理させるために、特別に今日の

試合への出場を決めた。


しかし3分間だけだ。


今日の試合前、ミーティングの最後に僕から選手、スタッフの全員にこのことを話した。


いつもは陽気な選手たちも黙り込むしかなかった。





そして、試合が始まった。


もちろん尾崎はスタートで出した。



『3Pシュート』



最後のシュートを見事に決めた。


そしてゲームは白熱した展開で、残り10秒。


1点負けていた。


尾崎と同じ松戸に住み、同期で仲がいい高岡にボールがまわった。


残り1秒。



『3Pシュート』



劇的な幕切れだった。


3流のライターだって、こんなシナリオは書きっこない。


やはりスポーツは筋書きの無いドラマだ。


試合終了後、僕から尾崎に花束を渡した。


尾崎は泣いていた。選手も泣いていた。もちろん僕も・・・。


こんな素晴らしいチームでGMをやっている僕は非常に幸せものだ。


でも逆にそれだけ責任も重い。


彼らのために、何とかしてあげたい。


尾崎、本当にお疲れさまでした。


これからは、違う形でチームを支えてくれ。