2004年。
JBL日本リーグ開幕が2ヵ月後に迫った9月。
トレーナーの水野さんから連絡があった。
「尾崎が病気かもしれない」
尾崎裕巳。
京都産業大学出身。
198cm、アルファーズの大黒柱だ。
外国人がいないアルファーズにとって、彼の存在は貴重だ。
彼と出会ったのは、2003年の10月。
元監督と関西大学リーグを見に行った。
本当は、同じ大学の「谷尾俊紀」を採用するために、リーグ戦を見に行ったのだが
その時、尾崎のプレイが目に留まった。
聞くところによると、「卒業が危ないらしく、去就は未定」だと。
そこで「卒業できなかったら契約社員でも構わない」ことを条件に採用した。
そして無事?に卒業し、営業として入社した。
入社後は期待通りに、アルファーズのゴール下で活躍していた。
「新人」と「旧人」の隔たりもようやく解消し、これからチーム一丸となってリーグに臨む、という
そんな矢先、水野さんからの連絡だった。
「心臓が悪い。手術の必要がある」
まさに青天の霹靂。言葉を失った。
その1ヶ月前に、高原順平が靭帯を損傷し、治療に専念するためアルファーズを退部していた。
また、内山貴敏も持病のヘルニアが悪化し、手術するために入院していた。
しかし足などの怪我であれば、リハビリをすれば回復の見込みがあるが、今回のケースは違う。
命にかかわる問題だ。
何回か検査を行い、その結果がわかる日。
豊橋から尾崎の両親をお呼びした。
診断結果の告知には私も立ち会った。
最悪の結果だった。
「早急に手術が必要です」
これで尾崎のバスケット人生は終わったとその時思った。
10月の終わり、手術は無事終了した。
アルファーズは、3人の戦力を欠くことになった。
そこで必要になるのが、「旧人」の力だ。
このアクシデントでチームはまとまった。
そしていよいよ日本リーグ開幕を迎える。