目指すよ金メダル
またバレーボールの年がきた
「自称日本一の応援DJです」
なんて自己紹介したりすることもある
日本一の応援DJ・・・
そう言い続け叶わなかったあの日
10月23日23時45分
この手の中で嫁は37年間の人生を終えた
激しい雨が家全体を打ち付け
嫁を呼ぶ声も打ち消した
病気が発覚してから
事あるごとに
「大丈夫、俺は日本一の応援DJだから」って励まし続けた
今考えるとそうでも言ってなきゃ
耐えられない自分自身がいた
自分への暗示みたいなことだったのかもしれない
告知を受けた日からカウントダウンが始まり
まるでゆっくりと動き出したジェットコースターが
最後の坂を登りきって
一気に下りだした
とてつもない大きな悲しみの下り坂に耐えきれなくて
始めた「まるごみ活動」
身近な命をなくした気持ちがわかるからこそ
始めた支援活動
少しでも止まってると
涙が出てくるから
止まることが出来ないのかもしれない
亡くなった時間が時間だけに
命日を10月24日にした
そんな昨日は印西で仕事
早く終わればお墓に行けるかな?
そう思っていたものの
やっぱりそううまくはいかない
残念ながら終わったのは幕張で7時30分
お墓に入場出来るのは5時まで
花を買って家の仏壇で手をあわせた
前回のワールドカップバレーの時
嫁の病気のことを聞きつけた柳本JAPANのメンバーが
励ましのメッセージをくれた
余命2ヶ月と告知されたが
あのメッセージのおかげもあって
10ヶ月まで延命できて家族で過ごすことが出来た
そんなこともあり
今回のワールドカップは全日本に恩返しをしたい
そのためには勝つ応援が必要で
スタンドから雰囲気を変えなきゃならない
実は長年コートDJをやってきて思ってたこと
それを今回のワールドカップでカタチにする
そう決めた!!
よくみんなに「ニッポン・ニッポン」
騒いでるイメージを言われるんだけど
俺は2003年以降はあまりニッポンは言ってない
DJやってる場所がオフィシャルな場所だけに
日本の応援しかしないってどうよ?
そう思ってたから
2003年以降からバレーボールの試合では
海外のチームも選手名も全力でコールして
尚且つ会場も盛り上げる
みたいなテーマやってきた
(どうやって盛り上げてたかと言うのは企業秘密)
他のチャンネルでバレーボールやってるの聞くと
相変わらずなんの考えもなくただ叫んでるDJ
それと一緒にされるのも嫌だし
本気でバレーボールの応援を変えたいと思ったんで
DJじゃなく応援団長をやりたいと申し出たところ
支えてくださるスタッフの方々の協力により
晴れてDJ・KOUSAKUのオリジナル応援団が出来上がりました!!
団員は会場に来られるあなたです!!
間もなくそのホームページが立ち上がるので
このブログで詳細をチェックしてて下さい
言えることは毎回会場の外で応援練習をやります
この応援練習に参加していただいた方(先着50名)には
全日本の赤いTシャツを差し上げます
このTシャツを着て
是非、全日本に僕に力を貸して下さい!!
オリンピックで金メダル!!
マジで目指しましょう!!を