チームまるごみ in 郡山 | DJ KOUSAKUオフィシャルブログ「強引に my way」Powered by Ameba

チームまるごみ in 郡山

おす!!おらKOUSAKU。


無事何事もなく昨日福島県郡山市のビッグパレットという大きなイベント施設に物資を届けて参りました!!


朝、5:30

浦安の事務局長の会社ダイムへ到着。


ダイムのスタッフも昨晩まで物資のチェックや積み込みでクタクタなのにKOUSAKUの到着でまたまた積み込み。

やや遅くなって浦安を出発


7:00

過ぎに竹芝桟橋のZERO1道場へ到着。

やはりここでもスタッフや若手のレスラーの皆さんが同じく昨夜遅くまで物資チェック。 

一睡もしないで積み込みのために待機しててくれてみんなで積み込み開始。 

本当にいつもZERO1さんには感心します。

ただし!!オッキーが朝から大声でバカなことばっか言ってる しかたね~か・・・オッキーだもんな・・・


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7:30

積み込み終わっていざ出発!!いってきま~す!!

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道中~大谷サービスエリア発見!!

タイヤのチェックもしておかないと・・・


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東北自動車道も福島からガッタガタ・・・

道路は歪み、路側帯は削れ、これじゃ一般車を通したら大事故だよね・・・


11:30

郡山にあるビックパレット福島に到着!!かなりデカイな

おっ!? お出迎えだ!!


30人くらいのボランティアのみなさんと力を合わせてトラックから積み出し

途中大谷コールで勇気100倍!!


先方の陣頭指揮をとってくれた地元郡山の佐藤さんをはじめとした、青年会議所OBのみなさん、高校生のボランティアみんなさんは自分の家が傾いたり大変な中、元気に力を合わせて作業してくれました。

皆様から頂いた物資は4㌧車両いっぱいでしたが、この熱い仲間たちとあっという間に運び出し、物資一つ一つに大変喜んで頂いたのが嬉しかったです。


素晴らしい郡山パワー!! 大谷ファンパワー!!大谷晋二郎ファンが多くてこれまた嬉しかったし。

中には20年以上前に福島中央テレビで僕が出演していたことを覚えている方々がいてそれも嬉しかった~


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避難されている方々は、海側の富岡という町をはじめとした地震・津波・原発の被害を受けた方々1600名。

まだ昨日もバスなどで続々と避難してきて、おそらく2000名を超えたと現地の方は言っていました。


避難所は通路、フロア、イベント会場のすべてに人・人・人。

段ボールを立て自分のスペースを確保出来た方はまだいいですが、通路で毛布を敷いて寝ている方々は常に目の前に靴が行き交う状態。あれじゃストレスが溜まらないわけない・・・。


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そんな避難所で話をいろいろ聞いて歩いき、ひとりの女性からの話しですが、
『私の町、富岡町はでは海そばの多くの家屋は地震後の津波にのまれ、高台だった私の家、

近所の住民たちはそれでも復旧に向けがんばろうとい矢先に翌日突然の避難命令を出されました。
電気系統の復旧もないままだったので、テレビが映らず「なんで避難なの?・どうせ明日には戻れるだろう」と

着の身着のままで避難。

10キロ県外、20キロ県外と避難して、現在の郡山ビッグパレットには3日前に入り、遂に家を出て10日も経ってしまいました。避難所で入ってくるテレビ・ラジオの情報で原発が爆発したと知り、そのままにしてきた家やペットのこと思うとやるせなさや悲しさや怒りで眠れない』とおっしゃっていました。


何が一番つらいか?


それは、「いつ帰れるかわからない」ということだそうで、イライラと先の見えない生活に不安を訴えていました。

昨日もそんな空気漂う避難所で、ストレスからか? 倒れてしまうお年寄りが2名酸素マスクを付けて救急車で搬送・・・。明日も見えない生活・・・。そんな敵と戦う被災者の皆さん・・・。

しかし地元ボランティアで無料針治療をしていた方からは、こんな意見も。

『僕の実家は南相馬市で、実家は津波でなくなりました。お父さん・お母さんはなんとか一命を取り留め、

現在は会津若松の親戚の家に避難。僕は郡山で鍼灸の仕事をしていますが、今は仕事もないし、

家にいても仕方ないのでここで無料ボランティアとして入りました。

3日ほど前から人が続々と増え、最初は神妙な面持ちの被災者方々も2日も断てばここの生活に慣れ、「食料もあるし、水や毛布もある。義援金も集まって来るし、全部ただでしょ。」

そんな感じで一日何もしないで寝てばっかり。

ボランティアで入っている地元郡山の僕らも家が無事とは言え、半壊した家の片付けもしないで頑張ってる人ばっかり。 なのに動ける人もいっぱいいるのになんで自分から動いてくれないんだ!? 精神的につらいのはわかるけど、これじゃやってられない。義援金だってあっちこちで有名人の方々が一生懸命集めているのに逆に申し訳ない』そんな不満をもらしていました。


地震発生から10日目の昨日3月20日。

ボランティアで動く側も受ける側も精神状態はよろしくないかなと。

現地に行かないとわからない声。 これだけじゃなく本当にいろいろ聞いてきて、

行かなきゃわからない真実の声を聞くことができました。

場所が変われば、状況も変わる。 1日1日状況も変わる。 この声を聴いて行った意味があると思いました。


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でもそんな中、

一生懸命ビックパレットの外で炊き出しの豚汁を作ってた木谷畑一正(きやはたかずまさ)さんという富岡町消防団の方は『家がなくなっちまってよ!今着てる服はもう5日目だよ、参っちゃ~よ、大変だ~!!
地震・津波・放射能。特に放射能は目に見えねぇからよ、やっかいだな。

消防車のホースでバァーっと流せんなら長っしゃあけどよ、見えねぇから何処にかけていいかわかんねぇべ。

まぁ~流されたのは家だけどよ!!カッカッカ(笑)
どっから来た?浦安っ!?ディズニーランドに行くのにここは夜中3時に出んだよ。

千葉かっ!?千葉はいいよな千葉に引っ越すかな!!カッカッカ~!!(笑)』

大変な自分の状況にも関わず、めちゃくちゃ明るい木谷さん。逆にパワーもらっちゃいました。


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その他、子供達が元気に遊び回ってる姿を見て僕も笑顔になりました。
電気もなく、ましてやゲームなんて・・・でも子供は遊びの天才。段ボールで作った積木やボールで一生懸命遊んでて、不謹慎だこど子供のためには少しいいかもって思いました。心の傷や重さはわからないけど、きっとこの子たちが次の未来を創ってくれるって、間違いだらけの今の日本や世界を変えてくれるって遠くから見つめてました。

今回この現場に行けたことは、歌やDJとメッセージを発信する僕にとって、

またまるごみといボランティア団体の代表として大変得るモノが多くありました。

これは物資をご提供して頂いたありとあらゆるブレーンの皆様。

物資を集め「自分の手で届けるんだっ!!」と発信し集めた物資を細かくまとめ、車に運び入れたゼロワン大谷社長やレスラーの皆さん。 同じく連絡してすぐに物資を集め作業された株式会社・日本都市。

車を用意し、前日遅くまで一つ一つ物資をチェックして車に運び入れたダイムの社員の皆さん。

生き返りガタガタの東北道路を運転してくれた石田事務局長。


今回バタバタの中で残念ながら手違いもあり、お会い出来なかった郡山の河村さん。

彼が自転車で走りながらビッグパレットの情報をかき集めたからこそ行けたこと、

またその河村さんを繋げてくれたまるごみ香取の森さん。

これだけの方々の「想い」が一つになり、行く機会を与えてくれたこと、必ず次に繋げます!!


大谷さんがみんなに「頑張って下さいじゃなく、共に頑張りましょう!!」とメッセージしていました。

まさにその通りだよね。

離れても繋がってんだ!!


幸せのカタチは人それぞれ違うけど、世界共通なのは「笑顔」

一人でも多くの笑顔を取り戻すために出来ることを共にやっていきましょう!!

皆さん本当にありがとうございました。

メッセージは引き続き集めていますのでまだまだ待ってます。


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放射能のチェックももちろんしました。



そして!!

明日また福島県南相馬市に飛ぶことになりました!!

郡山の帰り道、新潟のNPOの方が毎日物資を届けているそうで、「政府からの物資が届かず、1100人の方が避難出来ずに飢えと戦っています。」と・・・急遽明日行きます!!

昨日浦安に着いてから地元の先輩や同期の仲間、そして山梨のみなさんに物資を集めて頂いてます。

すでに沢山集まってきました。 いくぞ!! 待っててね 南相馬市の皆さん!!