朝起きてからヤンマガとスピリッツを読んだのだが、一番よかったのはスピリッツの『ダンス・ダンス・ダンスール』だった。
「自分には表現したいものがない、語れるほどの自分がない、空っぽのハッピーボーイだ」、と悩む潤平に振付師の岩井はプレイヤーでレコードをかけ、その曲に合わせて体を揺する。そのちょっとした動きに潤平は見とれ、「少し身体を揺すったに過ぎないダンスが、何でこんなに刺さる?」と思う。「そもそも本来ダンスなんて、曲があれば勝手に身体が動いてしまう、そんな息をするようなことだ」という岩井。そして「だがハッピーボーイ、振り付けは、そしてダンサーの表現は、「勇気」だ」、という。「今のお前なら楽しいの先に、芸術を体現するその悦楽の触りくらいには立てると思っている」という。

 

この、「表現は勇気だ」という言葉にはすごく共振するものがある。その勇気のあり方に、その人間というものが現れているからだ。というか、そこにしか表現の本質はないのかもしれない。

 

 

達人の手慣れた落書きが読んでいて、あるいは観ていて人を安心させるのは、そこに自らの自信が現れているからで、それは自信があるからこそ踏み込める世界がある、ということではある。人々に迎合しようとする表現はやはりたるんでいて、届きにくい。まあいわれて見たらそんなの当たり前なのだけど、どんなレベルの人にもその人なりに勇気のいる表現というものはあり、まただからと言って開き直りでもなく、また無謀であってもならないわけで、というかそうなると表現が破綻したり妙に小さいものになったりする。

 

 

そんなことを考えさせられたこの作品は、今一番私に届く作品だなと思った。

 

 

書きたいことはたくさんあるが、とりあえずこんなところで。