最近、少年ジャンプの作品が面白い。アニメが始まった「僕のヒーローアカデミア」、第1回を見たけれども、本当にアニメ化に向いた作品だと思った。「個性=特別の能力」のない「ヒーロー」志望の少年がヒーロー育成のための雄英高校に入って目標に向かって頑張る。その背中を押したのが現役最強のヒーロー「オールマイト」。「私が来た!」という決めゼリフもいい。アニメを見ると、OPもEDも良かったが、とくにOPはポルノグラフィティ。制作サイドも気合いが入ってるなと思う。絶対面白くなる予感。

「OnePiece」もついに「四皇編」開幕と今週号の表紙にあり、そして象の背中のゾウの国の、そのゾウと意志を通じることが出来る存在がいた、という驚愕の展開。これは、海王類(超巨大な魚介類)と意志を通じることの出来る魚人島の巨大人魚「しらほし姫」と同じような存在だということになるのだろう。しらほしは「古代兵器・ポセイドン」でもあったわけで、そうなるとゾウと話が出来る存在はひょっとしたらまだ出て来ていない「古代兵器・ウラヌス」なのかもしれない、とか、いろいろ考えてみる。

ジャンプの作品の中でも最近特に気になっているのが「食戟のソーマ」。考えてみるとこの話の設定はムチャクチャなのだけど、実に美麗な人物・背景・細部の描写によって極めてリアルな雰囲気を与えられており、無茶なギャグとしか思えないような設定が妙なおかしさを伴って説得力を持つ。今週では「セントラル」に逆らったキャラがはりつけにされてたりして、まあ実際にはあり得ないんだけど、遠月学園なら何でもあり、というノリの文脈の中で受け入れられてしまうのが可笑しいと思った。

遠月学園は元々、課題のこなせない料理人はどんどん退学にされて行くことによってごく少数の卒業生しか出さない、と言う過酷な生き残りがウリで、だからこそ料理人は技を身につけるだけでなく自らの創意工夫によって生き残って行かなければならない、という設定だったのが、新しい総帥・薙切薊と「セントラル」の登場によって、「指示された通りの技術を完璧にこなし、身につける」ことだけを求められる学園になってしまっている。それはナチスばりの強権政治なのだけど、セントラル側は料理人の工夫を認めず現在優れている料理人を模倣することだけを要求し、一方で退学はさせずにじっくり技を身につけさせる、というエサも与えられている。

食戟のソーマ 16 (ジャンプコミックスDIGITAL)
附田祐斗・佐伯俊
集英社


一年生ながら「十傑」の第十席に入り遠月学園の女王的な存在である薙切えりなは新総帥の娘なのだが、えりなの自由を奪おうとする薊から従姉妹の薙切アリスの手引きによって脱出し、極星寮に匿われる。(16巻の表紙がえりなと薊)

一方、切磋琢磨して技を磨き合ってた遠月学園内の自治組織、研究会やゼミや主人公・幸平創真の住む極星寮などが「セントラル」によって廃止を迫られるが、創真は権力を握る「遠月十傑」九席の叡山を「食戟」で破って極星寮を生き残らせることが出来た。

そのことにより自治組織が再び食戟にチャレンジして生き残る機会が与えられたが、ほとんどの組織はセントラルに破られる中で、名ばかりの同好会の主将であったアリスと、彼女のおつきで秋の選抜で準優勝(創真もまた)した黒木場リョウはセントラルと戦う機会を得て、「スタジエール(料理の現場での実習)」でスパイスの修行をして成長した黒木場が、セントラル側の楠連太郎を撃破する。その場に現れた薊に「遠月学園もえりなもこれ以上薊おじさまの好きにはさせません!」と宣言するアリスの言葉をえりなは聞いていて、ここでどうもぎくしゃくしていた二人の仲も仲直りがなったようだ。

というような状況の中でも授業は続き、セントラルの意向に添わない講師がクビになって、その代理として現れた「十傑」第一席の司瑛士が料理を披露する際、助手の希望者を募られて創真はそれを受ける。司が料理したのはフランス料理のアミューズ(前菜前のお通し的なものだそう)5品で、創真は完璧主義者の司の助手を見事に務める。それは、やはり「スタジエール」で元遠月第一席だったフランス料理の俊英・四宮小次郎に技法を叩き込まれが故だった。今週の扉は四宮で、本編中にも一コマ出ており、懐かしい感じがした。

創真は、純粋に司の料理を見て一緒に料理できる機会を得て楽しんで勉強をした感じだったのだが、実は結果的にセントラルの授業を手助けしたことに気づいて「しまった」と思う。しかし創真を高く評価した司は、創真にセントラルに入らないか、と申し出るのだった。・・・

面白い!

創真の鮮やかな料理の手つきや精巧な料理の描写がやはりこのマンガの魅力の一つなのだけど、料理マンガは数あれど、「包丁人味平」や「美味しんぼ」にくらべても「食戟のソーマ」は一番描写が美しいと思う。線がシャープできれいで、ボリュームの表現が上手いのは女性の身体描写でも十分証明されているが、すごいものだなと思う。

創真は創作の自由が奪われている薊政権下の遠月学園のやり方に強い不満を持っているわけだが、しかし技法的な部分では徹底して鍛えられることは重要なことだと認識している。

こういう構造のマンガ作品は他にもいくつもあって、私がこの文章を書こうと思った時にはその例を挙げて書くつもりだったのだが、いざ書こうとしてその作品(料理マンガではない)を忘れてしまったので例は上げられないのだけど、新しいものを創造して行く自由と喜びとその成果が、厳しいふるい落としに裏付けられている、というある意味極端にシンプルにその厳しさと素晴らしさが表現されたこのマンガの構造は、すごくオリジナルな部分が大きいと思う。

まあ、創造の世界はどこもそのようなものだけど、それは決して「一部の天才とそのエピゴーネンがいればいい」と言う「セントラル」の思想とは相容れないわけで、この話は創造論や教育論にも絡んで来てとても興味深いと思うのだった。