1
沼は暗く沈んでいた。騎士スークは馬を止め、沼を眺めた。沈んだ夕方の光を反射する森に囲まれた辺境の沼は、広く、波も立たず、不穏な雰囲気が満ちていた。村人は、日が傾き始めると、恐れてこの沼には近づかなくなる、と言う。森の中を抜ける打ち捨てられた古い街道が、沼のほとりを走っている。この街道が打ち捨てられたのも、元はと言えばこの沼に不穏な噂がつきまとっていたからだ。
この沼には、竜がいる。それも、水を操る力を持つ、神竜が。古くはその神竜がこの平原の国に幸いをもたらしていたのだが、時が衰えたのか、竜が老いたのか、いまはその竜がこの街道を通りかかる人間を襲うと言う、不穏な噂のみが残り、竜が目覚めると言われる夕方近くになると、元々少ない人の行き来もばったりとなくなるのだった。
騎士スークは思う。古代の詩に歌われたこの沼は、かつては美しい湖だった。このように森はなく、湖の向こうには湿原が広がり、広大な湿地には美しい鳥たちが舞い降りて、まるで楽園のような光景だったと。騎士スークはその詩を読み、強くこの地に憧れていた。しかし、現実にはこのような、時の衰えた光景。チャーンの残光もかくや。この地を再び、美しい湖に戻すことは出来ないものなのか。
騎士スークは夢想家だ。この沼を、美しい湖に戻すことなど出来るものか。誰もが騎士スークの夢を笑った。騎士スークは思った。もちろん、いまの自分には出来ない。しかし、この地を治める王国の強大な力をここに働かせることが出来れば、それは可能なのではないか。騎士スークはこの国、イクスペリアの首都・エリダの壮麗な光景を思い浮かべて、一人夢想に耽る。
森の中から黒い鳥が飛び立った。騎士スークは我に帰った。さすがにもうここは引き上げなければならない。今夜は村に戻り、あす再びこの街道を、目的地に向かって行くことにしよう。
と、村の方向から馬車の音がする。こんな時間に、この沼のほとりを通るのは危険だ。騎士スークは馬を走らせ、馬車の方向に向かった。
2
突然、凄まじい音がして沼に水柱が立った。
「こ、これは・・・水竜!」
スークは馬を急がせた。薄い青に塗られた貴族がお忍びで乗るような二頭立ての馬車と、その供と思われる騎馬が二人、白い水竜に襲われている。騎馬の男は剣を振りかざして水竜に立ち向かおうとしていたが、明らかに気後れしていた。水竜は馬車を襲い、馬は興奮して仁王立ちになってしまい、馭者は撥ね飛ばされ、馬車は横倒しになりそうになっていた。スークは急いで馬車に駆け寄ろうとした。
「はあっ!」
馬車の中から高らかな声がしたかと思うと、馬車と同系色の薄い青のドレスを着た若い貴婦人が飛び出した。危ない!竜は貴婦人に襲いかかろうとする。よく見ると、若いというよりも子どもだ。そんな子どもが何故こんな場所へ。
「サミエル!馬を貸せ!」
少女は従者の馬を奪い、全速力で駆け出した。驚いたことに、いつの間にか右手には槍を持っている。はじき飛ばされた御者と供のものたちはおろおろしながら少女を見守っている。少女は沼に向かって全速力で竜の正面に向かって見事な手綱捌きで馬を走らせ、「はあっ!」と叫ぶとその額に向かって槍を投げつけた。
槍は何と、竜の額に命中した。
「やった!」
その見事な投げ技に、スークが呆然とするのも束の間、額を割られた竜は恐ろしい形相になると、雷鳴とともに凄まじい白い光を発し、その姿を巨大な竜巻に変えた。
「くっ・・・剣を貸せ!」
少女は従者の剣を奪い取ると、竜巻に向かって投げ込もうとする。しかし、竜巻は真っ直ぐに少女の方に向かって来て、馬もろとも少女を巻き込んでしまった。
「エミア様!」
従者たちが叫ぶ。騎士スークは馬を下り、正面から竜巻を見据えた。これは、竜が姿を変えた竜巻だ。だから竜の本体はそこにある。その竜に語りかけられれば・・・
スークはカッと目を見開いて言った。
「水竜よ。この美しきエレンタイアの湖を統べる竜の王よ。人のまだ生まれぬ世からこの世界を守護して来た偉大なる神竜の子よ」
竜は、竜巻の中にその姿を現した。その目は、スークがいつかみた神竜の蒼ざめた黒い瞳ではなく、白く濁ていて、老いて正気を失っている様が見て取れた。しかしそれでも、まだ竜は竜らしき毅然としたたたずまいで、小さき人間どもを見下ろしていた。
「神竜よ。あなたは自分がどういう存在であったのか、忘れたのか。あなたは気高き天の種族であり、このような場所で人を襲う下等なけだものではない。」
竜は、濁った目でスークをじっとみている。
「どうか神竜よ、思い出していただきたい。あなたは民の苦しみのためにここに居るのではなく、美しきこの湖の守護神としてここに居るのですから」
スークの声は、よく通った。スークの声は、竜の身体にしみ込んで行くようだった。一瞬、竜の目に光が戻ったように感じられ、電光は止んだ。竜巻がおさまり、馬と少女が倒れていた。竜は下を向き、後ろを向き、もう一度スークの方を見て、低く唸ると、再び沼の中に潜って行った。
「エミア様!」
供のものたちが少女に駆け寄る。スークも少女を覗き込んで、苦しそうにつぶった目の上から手を当てた。
「大丈夫でしょう。竜のおこした竜巻は、普通の竜巻ではありません。竜の意志は、姫さまを殺そうとはしていなかったようです。」
「それより貴殿、よくぞエミア様を・・・」
「なに、大したことではありません」
エミアは目を開けると、スークの方をみた。
「よくご無事で。勇ましい姫さま。」
弱々しい声でエミアは答えた。
「姫ではない。」
「どのようなご事情か存じませんが、竜は変幻自在。武技のみで倒すことは出来ません。姫さま。」
「姫ではないと言っておろうが。つッ・・・」
エミアは苦痛に顔をしかめながら上体を起こした。
「お前は何者じゃ」
「私はスークと申す、辺境の騎士にございます。お怪我はありませんか?」
「大事ない。それより供のものたちじゃ。」
「エミア様!もったいのうございます。皆無事です。馬も大丈夫です。」
馭者台から弾き飛ばされた馭者は酷く腰を打っているようだったが、なんとか立ち上がった。執事らしき男はエミアの脈を取ったりまぶたを裏返したりしてから安心したようにふっと息を吐き、スークの方を向くと言った。
「騎士スークとやら。礼を申します。」
「いや、無事で何より。それより、このような時間に何故、この危ない沼地のそばを通られた。」
姫が答える。
「急ぎの用があったのじゃ」
「とはいえ、このような時間は竜が出ると、村でお聞きになりませなんだか」
「わしは竜など恐れぬ。だが騎士スークとやら、貴公のように竜と会話をなすものはわしは初めて見たぞ」
「光栄でございます。私はとある特殊な事情により、竜と心を通わすことが出来るのでございます。」
「ふむ。何とも珍しい男じゃ。」
少女はスークの顔をまじまじと見ると真剣な顔をして言った。
「貴公、王になる意思はあるか?」
「は?」
スークは驚いて言った。
「エミアさま、それは・・・」
執事らしき男が少し慌てて言った。
「案ずるな、リョシュ。わしはこの男と少し話をしたい。」
「ハッ・・・」
少女はドレスの土ぼこりを払いながら立ち上がった。
「貴公は、この国をどうご覧になる」
「どうと申されましても・・・私のような田舎騎士にはそのような大きな話は・・・」
この姫は、いったい何を言い出したのだろう。王だなんて。それもこの私が。
「謙遜は不要じゃ。先王死してこのかた、この国は麻のごとく乱れている。新しい王が立たないからじゃ。この国は新しい王を必要としておる。わしは王になる男を捜しておる。貴公は、王になる気はないか。」
「姫さま。私は一介の辺境の騎士でございます。辺境にはいまご覧になったような怪物がおり、また、国境では他国との小競り合いがございます。私はそのような日々の守りで手一杯で、そのような大それた大望を抱こうなどと考えたこともございません」
「謙遜は不要じゃと言っておろう。騎士スークよ。貴公の武名は、都にも聞こえておる。人に危害を加える獣どもを追い払い、国境を越えて来る敵国兵を蹴散らした。わしはそのような男を捜していたのじゃが、その男が、神竜に語りかける力をも持っているとは初めて知った。そのようなものこそ王になるべきだと思わんか。」
「お戯れはおやめください。それに姫さまは・・・」
エミアはため息をついた。
「姫ではないと言っておろうが。」
「騎士スーク殿!このお方は・・・」
「まあよい。黙っておれ。」
エミアはリョシュを制すと、空を見上げて言った。
「ならばわしは、また王になるべきものを求めて旅を続けるしかないようじゃな」
その姿は、なぜかさびしげに見えて、スークの胸を打った。
「よかろう。わしは王都に戻る。しかしその気になったら、いつでも都に、このエミアを尋ねて来るがいい。」
「エ、エミア様、それは・・・」
「何か申すことがあるか?」
「い、いえ、その・・・」
「恐れながら」
スークはエミアに声をかけた。
「恐れながら、姫さまはあの、いにしえの族長会議の「王探し」殿なのでしょうか?」
「王探し」。それは、この国、イクスペリアの古い掟であり、王が年老いた時、そして王が不在の時、王都から派遣されて時代の王たるものを探す役目である。それはイクスペリアの騎士たちは知識として古老から学ぶことではあるのだが、この数十年の間、そんな風習は途絶えたとスークは思っていた。それがいきなり、復活したのだろうか。
「・・・まあそのようなものじゃ」
スークはどこか腑に落ちないものがあったが、少女はそれ以上話したくなさそうだったので、話をやめることにした。
「大変な任務、おつかれさまでございます。」
「任務・・・?」
エミアは少し顔を歪めて笑った。
「任務、と言えないこともないな。」
エミアはスークの顔を正面から見ると、微笑んで言った。
「世話になったな」
「姫さま。私はこの土地のものではありませんが、少しは道を知っております。ご案内も出来るかと思いますが」
「大儀である。だが、わしはもう都に帰ることにした。貴公に会うことが出来て、よかったぞ。」
エミアはそう言うと馬車に乗り込み、供のものたちもスークに敬礼した。
「シューミック、馬車を出せ。」
「は!」
青い馬車は、きびすを返すと再び首都の方角へ向いた。
「騎士スークよ!やがて沙汰があろう!」
窓から身を乗り出した少女はそう叫ぶと、馬車は街道を戻って行った。
「沙汰・・・?」
馬車を見送ったスークは首をひねって少し考えたが、やがて馬を国境の方へ向けると、反対の方角に馬を向かわせた。
***
冒頭部分、改稿しました。
沼は暗く沈んでいた。騎士スークは馬を止め、沼を眺めた。沈んだ夕方の光を反射する森に囲まれた辺境の沼は、広く、波も立たず、不穏な雰囲気が満ちていた。村人は、日が傾き始めると、恐れてこの沼には近づかなくなる、と言う。森の中を抜ける打ち捨てられた古い街道が、沼のほとりを走っている。この街道が打ち捨てられたのも、元はと言えばこの沼に不穏な噂がつきまとっていたからだ。
この沼には、竜がいる。それも、水を操る力を持つ、神竜が。古くはその神竜がこの平原の国に幸いをもたらしていたのだが、時が衰えたのか、竜が老いたのか、いまはその竜がこの街道を通りかかる人間を襲うと言う、不穏な噂のみが残り、竜が目覚めると言われる夕方近くになると、元々少ない人の行き来もばったりとなくなるのだった。
騎士スークは思う。古代の詩に歌われたこの沼は、かつては美しい湖だった。このように森はなく、湖の向こうには湿原が広がり、広大な湿地には美しい鳥たちが舞い降りて、まるで楽園のような光景だったと。騎士スークはその詩を読み、強くこの地に憧れていた。しかし、現実にはこのような、時の衰えた光景。チャーンの残光もかくや。この地を再び、美しい湖に戻すことは出来ないものなのか。
騎士スークは夢想家だ。この沼を、美しい湖に戻すことなど出来るものか。誰もが騎士スークの夢を笑った。騎士スークは思った。もちろん、いまの自分には出来ない。しかし、この地を治める王国の強大な力をここに働かせることが出来れば、それは可能なのではないか。騎士スークはこの国、イクスペリアの首都・エリダの壮麗な光景を思い浮かべて、一人夢想に耽る。
森の中から黒い鳥が飛び立った。騎士スークは我に帰った。さすがにもうここは引き上げなければならない。今夜は村に戻り、あす再びこの街道を、目的地に向かって行くことにしよう。
と、村の方向から馬車の音がする。こんな時間に、この沼のほとりを通るのは危険だ。騎士スークは馬を走らせ、馬車の方向に向かった。
2
突然、凄まじい音がして沼に水柱が立った。
「こ、これは・・・水竜!」
スークは馬を急がせた。薄い青に塗られた貴族がお忍びで乗るような二頭立ての馬車と、その供と思われる騎馬が二人、白い水竜に襲われている。騎馬の男は剣を振りかざして水竜に立ち向かおうとしていたが、明らかに気後れしていた。水竜は馬車を襲い、馬は興奮して仁王立ちになってしまい、馭者は撥ね飛ばされ、馬車は横倒しになりそうになっていた。スークは急いで馬車に駆け寄ろうとした。
「はあっ!」
馬車の中から高らかな声がしたかと思うと、馬車と同系色の薄い青のドレスを着た若い貴婦人が飛び出した。危ない!竜は貴婦人に襲いかかろうとする。よく見ると、若いというよりも子どもだ。そんな子どもが何故こんな場所へ。
「サミエル!馬を貸せ!」
少女は従者の馬を奪い、全速力で駆け出した。驚いたことに、いつの間にか右手には槍を持っている。はじき飛ばされた御者と供のものたちはおろおろしながら少女を見守っている。少女は沼に向かって全速力で竜の正面に向かって見事な手綱捌きで馬を走らせ、「はあっ!」と叫ぶとその額に向かって槍を投げつけた。
槍は何と、竜の額に命中した。
「やった!」
その見事な投げ技に、スークが呆然とするのも束の間、額を割られた竜は恐ろしい形相になると、雷鳴とともに凄まじい白い光を発し、その姿を巨大な竜巻に変えた。
「くっ・・・剣を貸せ!」
少女は従者の剣を奪い取ると、竜巻に向かって投げ込もうとする。しかし、竜巻は真っ直ぐに少女の方に向かって来て、馬もろとも少女を巻き込んでしまった。
「エミア様!」
従者たちが叫ぶ。騎士スークは馬を下り、正面から竜巻を見据えた。これは、竜が姿を変えた竜巻だ。だから竜の本体はそこにある。その竜に語りかけられれば・・・
スークはカッと目を見開いて言った。
「水竜よ。この美しきエレンタイアの湖を統べる竜の王よ。人のまだ生まれぬ世からこの世界を守護して来た偉大なる神竜の子よ」
竜は、竜巻の中にその姿を現した。その目は、スークがいつかみた神竜の蒼ざめた黒い瞳ではなく、白く濁ていて、老いて正気を失っている様が見て取れた。しかしそれでも、まだ竜は竜らしき毅然としたたたずまいで、小さき人間どもを見下ろしていた。
「神竜よ。あなたは自分がどういう存在であったのか、忘れたのか。あなたは気高き天の種族であり、このような場所で人を襲う下等なけだものではない。」
竜は、濁った目でスークをじっとみている。
「どうか神竜よ、思い出していただきたい。あなたは民の苦しみのためにここに居るのではなく、美しきこの湖の守護神としてここに居るのですから」
スークの声は、よく通った。スークの声は、竜の身体にしみ込んで行くようだった。一瞬、竜の目に光が戻ったように感じられ、電光は止んだ。竜巻がおさまり、馬と少女が倒れていた。竜は下を向き、後ろを向き、もう一度スークの方を見て、低く唸ると、再び沼の中に潜って行った。
「エミア様!」
供のものたちが少女に駆け寄る。スークも少女を覗き込んで、苦しそうにつぶった目の上から手を当てた。
「大丈夫でしょう。竜のおこした竜巻は、普通の竜巻ではありません。竜の意志は、姫さまを殺そうとはしていなかったようです。」
「それより貴殿、よくぞエミア様を・・・」
「なに、大したことではありません」
エミアは目を開けると、スークの方をみた。
「よくご無事で。勇ましい姫さま。」
弱々しい声でエミアは答えた。
「姫ではない。」
「どのようなご事情か存じませんが、竜は変幻自在。武技のみで倒すことは出来ません。姫さま。」
「姫ではないと言っておろうが。つッ・・・」
エミアは苦痛に顔をしかめながら上体を起こした。
「お前は何者じゃ」
「私はスークと申す、辺境の騎士にございます。お怪我はありませんか?」
「大事ない。それより供のものたちじゃ。」
「エミア様!もったいのうございます。皆無事です。馬も大丈夫です。」
馭者台から弾き飛ばされた馭者は酷く腰を打っているようだったが、なんとか立ち上がった。執事らしき男はエミアの脈を取ったりまぶたを裏返したりしてから安心したようにふっと息を吐き、スークの方を向くと言った。
「騎士スークとやら。礼を申します。」
「いや、無事で何より。それより、このような時間に何故、この危ない沼地のそばを通られた。」
姫が答える。
「急ぎの用があったのじゃ」
「とはいえ、このような時間は竜が出ると、村でお聞きになりませなんだか」
「わしは竜など恐れぬ。だが騎士スークとやら、貴公のように竜と会話をなすものはわしは初めて見たぞ」
「光栄でございます。私はとある特殊な事情により、竜と心を通わすことが出来るのでございます。」
「ふむ。何とも珍しい男じゃ。」
少女はスークの顔をまじまじと見ると真剣な顔をして言った。
「貴公、王になる意思はあるか?」
「は?」
スークは驚いて言った。
「エミアさま、それは・・・」
執事らしき男が少し慌てて言った。
「案ずるな、リョシュ。わしはこの男と少し話をしたい。」
「ハッ・・・」
少女はドレスの土ぼこりを払いながら立ち上がった。
「貴公は、この国をどうご覧になる」
「どうと申されましても・・・私のような田舎騎士にはそのような大きな話は・・・」
この姫は、いったい何を言い出したのだろう。王だなんて。それもこの私が。
「謙遜は不要じゃ。先王死してこのかた、この国は麻のごとく乱れている。新しい王が立たないからじゃ。この国は新しい王を必要としておる。わしは王になる男を捜しておる。貴公は、王になる気はないか。」
「姫さま。私は一介の辺境の騎士でございます。辺境にはいまご覧になったような怪物がおり、また、国境では他国との小競り合いがございます。私はそのような日々の守りで手一杯で、そのような大それた大望を抱こうなどと考えたこともございません」
「謙遜は不要じゃと言っておろう。騎士スークよ。貴公の武名は、都にも聞こえておる。人に危害を加える獣どもを追い払い、国境を越えて来る敵国兵を蹴散らした。わしはそのような男を捜していたのじゃが、その男が、神竜に語りかける力をも持っているとは初めて知った。そのようなものこそ王になるべきだと思わんか。」
「お戯れはおやめください。それに姫さまは・・・」
エミアはため息をついた。
「姫ではないと言っておろうが。」
「騎士スーク殿!このお方は・・・」
「まあよい。黙っておれ。」
エミアはリョシュを制すと、空を見上げて言った。
「ならばわしは、また王になるべきものを求めて旅を続けるしかないようじゃな」
その姿は、なぜかさびしげに見えて、スークの胸を打った。
「よかろう。わしは王都に戻る。しかしその気になったら、いつでも都に、このエミアを尋ねて来るがいい。」
「エ、エミア様、それは・・・」
「何か申すことがあるか?」
「い、いえ、その・・・」
「恐れながら」
スークはエミアに声をかけた。
「恐れながら、姫さまはあの、いにしえの族長会議の「王探し」殿なのでしょうか?」
「王探し」。それは、この国、イクスペリアの古い掟であり、王が年老いた時、そして王が不在の時、王都から派遣されて時代の王たるものを探す役目である。それはイクスペリアの騎士たちは知識として古老から学ぶことではあるのだが、この数十年の間、そんな風習は途絶えたとスークは思っていた。それがいきなり、復活したのだろうか。
「・・・まあそのようなものじゃ」
スークはどこか腑に落ちないものがあったが、少女はそれ以上話したくなさそうだったので、話をやめることにした。
「大変な任務、おつかれさまでございます。」
「任務・・・?」
エミアは少し顔を歪めて笑った。
「任務、と言えないこともないな。」
エミアはスークの顔を正面から見ると、微笑んで言った。
「世話になったな」
「姫さま。私はこの土地のものではありませんが、少しは道を知っております。ご案内も出来るかと思いますが」
「大儀である。だが、わしはもう都に帰ることにした。貴公に会うことが出来て、よかったぞ。」
エミアはそう言うと馬車に乗り込み、供のものたちもスークに敬礼した。
「シューミック、馬車を出せ。」
「は!」
青い馬車は、きびすを返すと再び首都の方角へ向いた。
「騎士スークよ!やがて沙汰があろう!」
窓から身を乗り出した少女はそう叫ぶと、馬車は街道を戻って行った。
「沙汰・・・?」
馬車を見送ったスークは首をひねって少し考えたが、やがて馬を国境の方へ向けると、反対の方角に馬を向かわせた。
***
冒頭部分、改稿しました。