一色まことさんの「ピアノの森」、最終26巻を読みました!(後半)

ピアノの森(26) (モーニング KC)
一色まこと
講談社


お話の中で、色々なことが起こります。連載中にも、本当に色々なことが起こります。ポーランドに行ってから日本に帰るまで、数週間のことのはずなのですが、2006年から2015年までちょうど10年かかっています。だから凄い長旅みたいなんですが、やはり本当は物語の流れ上は数週間なわけで、やはりその辺、ときどきわからなくなります。

さて、26巻、後半の感想を描いて行きたいと思います。前半の方にも書きましたが、内容を知ってから読みたいというタイプの方でなければ、単行本をぜひお読みいただいてからこの感想も読んでいただければと思います。

238話では、残すところあとわずかのポーランドの滞在の日々が描かれ、子どもとの約束が果たされます。これは25巻230話、最終日演奏終了後、コンクールの結果発表前にいつものように子どもに囲まれていたカイのもとにやって来たカイの大ファンの子どもと生でピアノを弾いてあげるという約束をしたのですね。

そして、ガラコンサート最終日のパンウェイのコンチェルト2番の演奏が描かれます。この曲は本来、パンウェイはコンクールで弾くはずだったのですよね。しかし、カイと同じ日にぶつかることになって、敢えて曲目を変えて来た。しかし、本当に彼の力が発揮出来るのは2番だったのかもしれません。カイと阿字野も顔を見合わせて驚嘆しています。

カイは、阿字野の手の手術のことを言い出したことで、先生を傷つけてしまったと公開しています。だから、阿字野が自分から言い出すまで、このことは封印しておこう、と思います。前半の感想に書いたように、阿字野の中ではもうだいぶ氷は溶けていると思うのですが、まだ実際に動こうという気にはなっていないのですね。

そしてついにワルシャワを離れる日が来る。私は子の、飛行機に乗るときのカイの横顔が凄く好きです。

そして帰国し、大騒ぎされる中、カイは元ピークラの自分の住まいに、阿字野はレイコとの約束を果たすために森の端に行きます。

そう、最大の問題、一番気になることは、森の端の支配者の連中が、カイを一体どうするのか、ということですよね。22巻の冒頭、196話であのデイビッドとビクトリアのコンビがパンウェイの偽パンフレットをばらまき、次にカイを調べようと手のものを森の端に潜入してぼこぼこされた場面。そこで語っていた、やくざの親分でしょうか、カイを泳がせて世界で活躍させ、それから搾り取れるだけ搾り取ろうという魂胆を述べていました。

優勝したら、このあたりのことはどうなるだろうと思ってましたが、やはり阿字野も、「森の端の連中がどう出るか?」ということを一番気にしていたのでした。

ところが、何と大波乱。YouTubeで流れた森の端の映像をきっかけに、そこに潜入していた逃走中の外国人を見た各国のマフィアが押し掛けて森の端は大騒ぎになり、打ち合いで何人か死に、警察も導入されてみんなしょっぴかれる、という事件が起こって、森の端はがらんともぬけの殻になってたのでした。

そして彼らはどこに行ったかと言うと、カイの家で冴ちゃんに匿われていたのですね。(笑)やくざの親分やら、インテリやくざやら、暁のおばさん(マダム?)やら、カイに辛く当たるような面々はそこにはいませんでしたが、闇の中からぼこぼこ出て来て可笑しかったです。そして感動の冴ちゃんとの再開。ここがほとんどギャグ展開になってて笑いました。

しかし、シリアスなのが阿字野とレイコの再会。冴ちゃんはレイコと警察から戻って来るところで、レイコは元ピークラの外で阿字野を待っていて、ようやく再会することが出来ました。

そして、全く加筆のなかった238話ですが、ラストに来て7ページの書き足しが。阿字野はレイコにあの森のピアノの鍵を渡します。森の端の面々がそのラブシーンをのぞき見ようと大騒ぎしているのが可笑しいです。

それから、連載では全くなかった書き足しの部分。カイの通っている高校がテレビに映されます。8巻62話で出て来る進学校ですね。それから小学校の担任の先生が出て来て、いつも身体の大きいこと喧嘩してたと。そしてなぜか相撲部屋の場面になり、何と金平くんが出てきます。(笑・笑・笑)あの小学生編でしょっちゅうカイと喧嘩して、また転校生の雨宮をいじめていたあのキンピラですね。21巻191話でカイと雨宮が和解したときの話題でちょっと出て来てはいましたが、今回は何と本人の登場です。それも力士になって。これは笑いました。一色先生、サービス精神満点です。(笑)

そして239話。ついに、阿字野が手術を決断し、手術を受け、手が自由に動くようになります。カイはそれを見届けて再びワールドツアー、今度はアメリカツアーに出掛けますが、ジャンから思いもかけないメールが。

239話は細かい修正が3カ所ほど。阿字野とジャンが仲尾の診察を受け、手術の説明を聞くところで2カ所。仲尾が「これから検査しますが問題ないでしょう」というセリフが「検査しましたが問題ないでしょう」になっています。それから、「それは筋力も落ちていないし関節もやわらかい証拠ですから」という言葉が「そのため筋力も落ちていないし関節もやわらかい」に変わっています。このへん、何でもわかっちゃうゴッドハンドという感じの発言から、普通の医者っぽくなってます。大体手術費用が「ショパコンの優勝賞金全額」という法外な話だったのに、実際には40万ちょいということになってて、これは一体どうしたことか、と思いました。(笑)

これはさすがにどうなんだ、と思いましたが、実際にはそれだけ劇的に技術が進歩したということなのかもしれません。内視鏡で手の手術なんて出来るんですね。

そして、手術は成功し、包帯をとって、手が自由に動く。その場面で、カイが「阿字野の手がやったー!」と叫ぶところが、「阿字野がやったー!」になっています。

そして、今回読み直して味だなと思ったことのひとつが、渋谷さん。もともとは7巻53話で小学生のカイが透明なガラスのピアノを弾いたことが縁でアルバイトで顔を隠すためにピエロの扮装をして一緒に演奏するようになった「仲間」で、スランプの修平がそのビデオを見て衝撃を受けたりした場面(8巻59話)もありましたし、またコンクールのコンチェルトの練習のときのずっと付き合ってくれたりもした(21巻188話)、あの渋谷さんですね。彼が、阿字野の手術の時にじゃんとともに立ち会い、ビデオを回してくれたりして、このあとずっと物語に付き合うことになります。何しろアメリカツアーでのカイのマネージャーに押し掛けでなってしまうわけですから。53話ではカイにピアノをとられて憮然としていた渋谷でしたが、コンチェルトの練習のときは随分根気よく付き合ってて、凄くいいヤツになってました。

そして、全てが順風満帆に行くかに見えたなか、ジャンから「壮介のリハビリがうまくいかない」というメールが来るんですね。ここからまたひとつのストーリーがはじまるわけです。

240話。扉の絵が、自由の女神の前に、カイを中心にアレグラとオーブリー。アレグラがパンを引っ張って転びそうになり、それを覗き込むソフィー。向こうからレフが走ってきます。上位入賞者6人のワールドツアー、ニューヨークに来たということですね。ページをめくるとホールの大きな垂れ幕に、カイ、パン、レフ、ソフィー、アレグラ、オーブリーの順で下がっています。この二コマ、かっこいいです。

この回は、ほとんど阿字野の「リハビリ」の話と言って良いでしょう。ジャンのメールに心配したカイが電話をすると、日常はうまくいっているのにピアノがうまく弾けない、それにカイのコンチェルトの練習用の「第二ピアノ」ばかり弾いている、というのです。

これは21巻の188話で初出の話ですが、コンチェルトの練習にはオーケストラのパートをピアノで弾いてあわせてもらうのが一般的で、カイは阿字野が弾いた第二ピアノの録音にあわせて練習していました。阿字野は左手が動かないので右手で右手のパートを一度弾き、そして右手で再び左手のパートを弾いて、それを渋谷さんがミキシングして、まるで両手で弾いたかのような音源を作り、それにあわせてカイが練習していたのです。

しかしカイは見てしまったのですね、阿字野が一人で一生懸命、第二ピアノを両手で弾く練習をしていたのを。カイのために、せめて両手で弾いたバージョンを用意したい、という阿字野の切なる願い。カイは、「もうがんばるな!俺のためになんかガンバるな!」と思ったのでした。

阿字野は何故、第二ピアノばかり練習しているのか。もうカイはコンクールで優勝して、もはやカイのため、というわけではないでしょう。しかし、ずっと練習し続けていたから、まずそれをマスターしたいという気持ちが強かったのかもしれません。しかし、なぜか上手く弾けない。

そうこうしているうちに、カイにはアメリカの大手音楽事務所CAMIから契約の話が来ます。これは実在の会社で、小沢征爾さんなどもマネジメントを任せていたことがあるようです。

カイのツアー中、阿字野はリハビリに専念しているわけですが、レイコが毎日ご飯を作りに通い、ジャンも近くに部屋を借りてしょっちゅう来ていて、レイちゃんと阿字野が引っ付くのを警戒しているベンちゃんはいつの間にか阿字野の家に住み込んでしまっている、という状態になっているそうです。

このへん、どう解釈すべきなんでしょうかね。阿字野が、レイコのことをどう思っているか。大切に思っていることは確かだけど、「カイとレイコさん自身を守るために、養女になりませんか」という話をしたこともあるし、女性として見ているわけではないようですが、レイコはそうではないですからね。ベンちゃんはカイの本当の父親という説もある(でもそれだと10歳のときの子どもということになるので考えたくない、と7巻52話で言ってます)くらいでレイコのことが好きなのですね。このへんの関係、阿字野は二人とも自分の子どものように見ているように思えます。このときの記述から考えると、カイが今17歳ですからベンちゃんは27歳、レイコは32歳ということになります。阿字野は50歳くらいですからまあそんな感覚なんでしょうか。

しかし梨本との電話で、阿字野が弾けないのは精神的なものかもしれない、という話になります。仲尾はそのために鏡を置いて左手の動きと見せかけることで恐怖心が消えてスムースに動くようになる、ということでやってみて入るそうなのですが、うまくいってない。その話を聞いてカイは渋谷と相談し、音源とぴったり合わせて左手の動きを録画して右手のあわせてみせれば良い、という話になります。そしてそれが出来るのは、パン・ウェイしかいないということになり、パンにそれを依頼します。パンはそれまで、阿字野に弟子入りしたいということでずっとカイに迫っていたのですが、その話を聞いて涙を流して喜びます。

パンにとっても、弟子入りすることそのものより、阿字野が復活してくれる方がずっと嬉しいのでしょうね。ここは良いなあと思いました。

この映像を見て、阿字野は合わせて弾こうとするのですが、やはり左手が吊るのか、弾けません。でもそれは指の動きそのものよりも、精神的に「腹がくくれない」からだ、と阿字野は感じていたようです。

「私は何を恐れているんだろう?」というセリフからの連載での3ページが、単行本では5ページにふくらんでいます。

「どうして腹がくくれないんだろう・・私は」と考え込む阿字野の顔のアップを入れるため、だと思います。フォートワースでの会話の中で、渋谷とカイが「そっか。あの映像でもダメだったか・・」「なんか練習もサボり出したみたいだ」と連載では言っていたのが、単行本では「そっか。あの映像でもダメだったか・・」「うん、特に変化はないらしい」「残念!力作だったのにな」という感じの展開になっています。まあ、あんまりスルーしてもパンが可哀想ですからね。

しかし一方、カイのマネジメントの話も順調に進み、ジャンから送られた敏腕のサポートのもとで首尾よく契約、になるかと思ったら、カイはすべてをほっぽり出して日本に帰ってしまったのです。

カイは、全てを投げ出して、「阿字野とピアノを弾くために」帰って来たのですね。「お前は自分のことだけ考えていればいいんだ!」という阿字野に、「俺には阿字野の練習の方が100倍大事だから!」といい、「だから練習しよ。俺が先生な訳だけど」と言います。それを影で見ていたジャンは、「もうしようがないよ。断ってかえって来ちゃったんだから。壮介も腹をくくるしかなかろう」というのでした。

やはり阿字野も、カイがいないと腹がくくれなかったのですね。なんかこのへん、可愛いです。(笑)

カイの言葉が良い。「阿字野の左手は生まれたてなんだから、最初から上手く弾けるわけないじゃん」というのです。「阿字野の理想は高すぎて、誰にも弾けないよ。しかもイメージだけが長年ふくらんじゃってるから、そのギャップがねー」と。

ああ、なるほど、そこに阿字野のリハビリの問題があったわけですね。みんな、「不自由な左手を使ってく世がついていたから上手く動かないんだ」と思っていたわけですが、「理想と現実のギャップのあまりの大きさ」が問題だったと。これは他の人には指摘出来ない、カイと阿字野の関係だからこそ指摘出来ることなのだなと、今まで何度も読みましたが今読み返してようやく理解出来ました。

やはり阿字野にも、カイが必要なんですね。^^

ここのページ、3ページが9ページに増えています。連載ではあっさりしていた展開が、単行本では「特別な場所を思い浮かべる」という阿字野のレッスンを、逆にカイが阿字野に説く展開が挟み込まれてゆったりとした感じになっています。これは3巻21話、「何でも弾けるのにショパンだけ弾けない」カイが初めて阿字野のレッスンを受け、指の練習曲を弾かされて気持ち悪くなってしまった時に教えてもらった方法でした。その時に阿字野が例に挙げたのは海辺の我が家で母のためにピアノを弾いた記憶。そしてカイが思い浮かべたのはもちろん、森のピアノでした。この二人の原点とも言える話をここで出して来たのはニクいなと思います。

連載では少しせわしない感じでしたから、ここが長くなったのはよかったなと思います。

阿字野はカイとの会話の中で、自分がどれだけ「かつて命より大切あったあの輝く音」を取り戻したくてたまらないか、ということに気がつくのですね。そして、カイが戻って来て、楽しそうにレッスン内容を考えているのを見て、「焦らなくても良いのかもしれない」と思います。「私の左手は息をふきかえしたばかりなのだから」と。

ここはやはり、26巻の白眉だなと思います。そこを単行本ではゆっくりと丁寧に描いていて、とてもよかったです。

そしてついに、最終241話。この話は連載時でも大増56ページ。パンウェイの独白の中で、手術をしてから22ヶ月という言葉が出てきますし、ショパコンのガラコンサートで阿字野が仲尾に会ってから手術まで3ヶ月かかってますから、合計2年と1ヶ月後、ということになります。カイも19歳ということでしょうか。

全ては好転していました。もうこの回はご褒美のようなものですね。

森の端を取り壊して自然公園になったところのカフェで働く元・暁の女の子?たち。経営者はレイコです。このカフェはカイがローンを返していて、日本に帰るたびにカイが演奏しているのだそうです。

一方中国ではあのごうつくばりのパンハオが病気をきっかけにパンウェイに頼り切りになり、「ただならぬ気持ち悪さだが皆の平和のためにもこのままにしておく」とか言ってます。

カイはパリ音楽院に留学し、修平はワルシャワで勉強を続けています。冴ちゃんはカイと一緒にパリに行ったようです。何となくパリの女の子っぽい雰囲気になってます。

そしてやって来た阿字野のカムバックリサイタル当日。サントリーホールです。阿字野は最も頼りにするベンちゃんの車で東京へ行きます。そして集まって来たのはまず雨宮修平。そして誉子と白石、雨宮の両親。佐賀先生に司馬先生、光正と玉梶先生。ショパコンの審査員たち、カイとマネジメント交渉に来たCAMIの二人、ワルシャワフィルの指揮者コルト、アダムスキ、それにパンウェイ。もちろんレイコと冴ちゃん、暁の女の子たちも来ています。

この復活コンサート、本人はともかく、ものすごい評判になっていて、ベンちゃんも修平も心配しています。雨宮父や佐賀先生も、全盛時代と同じプログラムを見て無謀ではないかとか、骨董になってないかとか(これは吉田秀和さんが1983年に来日したホロヴィッツを評した言葉ですね)みんなそう言う心配をしているのですが、阿字野はそれを全て引き受けて舞台に立ちます。「どれほど危険なプログラムか知ってる。でも私はこれらの曲で今日、この世界に戻る!それがカイのピアノと出会い、第二の命を授けてもらった今の私の、生きる意味だからだ」という独白。

そしてみごとに全盛期の、そしてそれ以上の心にしみいる優しさに満ちた音を奏でるのですね。

感動するパンウェイ。驚く雨宮父の顔。やったねという表情の仲尾と梨本。カイは楽屋で泣き続けています。

そしてここで、最終はただ一つの挿入。連載のときは、これだけがんばった渋谷さんがカムバックリサイタルにいないのはちょっとなと思っていたのですが、楽屋でカイとジャンを見守るMHK交響楽団の二人の後ろに、渋谷が描かれていました。これはやはりそうでないと、と思いますね。

阿字野は弾きながら、カイの言葉をかみしめる。「ヘタで良いじゃん。だってヘタに決まってる!下手な現実と向き合う勇気を持たなきゃ始まらないじゃないか!ジャンじいなんか70歳越えてるんだよ!阿字野はあと20年あるじゃないか!70になった時現役に戻ればいいんだ!」と。全ての人を納得させる演奏の中、「何としても阿字野先生に師事したい」と改めて思うパンウェイと、「これでもう私は幻に怯えなくていい、最高のライバルが帰って来てくれたのだから」と思う雨宮父。全てが浄化して行く感じです。

そして休憩中の舞台では、ピアノを調律する向井の姿。そして、何と二台のピアノ。わくわくが高まります。そして告げられた後半の曲は、二台のピアノのためのもの。そして演奏者は、第一ピアノが阿字野、第二ピアノは・・・

カイ・イチノセ。

その名が告げられた途端、会場は大歓声。阿字野を先頭に、カイ、MHK交響楽団を指揮するジャンと出て来るシーンは、忘れられません。CAMIの著名なゲイことジェフリー・ゴールドマンも涙を流して喜んでいます。(彼は16巻145話からポイントポイントで出てきます)

ここから先は、最後のご褒美ですね。二人並んで礼をし、向かい合う二台のピアノに腰掛ける阿字野とカイ。阿字野は蝶ネクタイ、カイは普通のネクタイです。そしてジャンが振る指揮で始まる演奏の中、目で会話する二人。そしてついに二人の演奏が始まる。修平も、レイコも、梨本も、ブゼクも、佐賀先生も、涙ぐんでる。

「このピアノを、全ての人に捧げる!」

・・・

書いていて、ここで大きなコーダの音が聞こえた気がしました。ビートルズの、A Day in the Lifeのコーダのような。

長い長い、起伏に富んだ物語も、ついにフィナーレ。大団円を迎えました。

実際、これだけきれいに全ての伏線を解決して行くとは思いませんでした。

このピアノを、全ての人に捧げる、という思いは、作中の二人だけでなく、一色先生の思いでもあったように思います。

夢中になって沢山書いてしまいました。

まだお読みになってない巻のある方は、ぜひ1巻から通して読んでいただけると良いかと思います。

26巻の単行本、厚さを測ると47センチくらいありますので一気に読破するのは大変だとは思いますが、とにかく全巻、一度お読みになる価値はあります。

贅沢を言うと、小学生時代からショパコンまでの間の部分で、もう少し阿字野とのレッスンの場面があると嬉しいかなという気はしますが、そこを必要以上に書かないのもひとつの美学なのかもしれないな、とも思います。

ひとつ疑問なのは、冴ちゃんの存在。冴ちゃんはカイがマリアとしてPクラでピアノを弾いている時に知り合った彫り師の女の子なのですが、何故カイの彼女か彼女なのかな、というのはまだちょっとわからない。彼女の存在は物語の中ではそんなに大きくありません。誉子の方がずっと大きいのですよね。

ヤングマガジンアッパーズでの連載の最後の方は冴ちゃんとの関係がずっと描かれていて、モーニングに移ってからは同居してる。アッパーズの連載は1998年から2002年まで、モーニングで再開したのが2005年で、アッパーズで5年、モーニングで11年、そのあいだ2年あまり中断しています。

・・・終わらないで再開してくれて良かったなあ、と思います。

全体に、色々なところが記憶に残っているのですが、私が特に好きなのは誉子がカイの記憶を求めてずっと探し続け、ついに再開する、モーニング連載の初期のあたりです。10巻81話から12巻97話まで。ショパコン編の導入部、と言えなくもないですが、まあ多分、私は誉子というキャラが好きなんですね。(笑)

本当にこの作品は、生きる上でのさまざまな苦しみというものを真正面から描いている感じがして、凄いと思います。

そう言う意味では、パンウェイのくだりも好きですね。とくに二次予選でポロネーズの5番を弾く、17巻後半の154話~156話は凄かった。これは連載時にも戦慄しましたが、何度も思い出していますし、色々なピアニストの演奏でポロネーズの5番を聴きましたが、この部分を読んだときの印象が必ず重なるようになりました。まあそれは、15巻138話のカイの弾くバラード4番も同じなんですけどね。この曲のイメージは、作品のこの部分と切り離せなくなっています。

まだまだいろいろ語りたいことはありますが、今はこのくらいにしておこうと思います。

この作品に出会えて本当によかった。

軟弱なイメージであまり聴いていなかったショパンをこれだけじっくり聴いたのも、この作品に出会ってこそでした。

ありがとうございました。
そして、おつかれさまでした。