雪花の虎(1) (ビッグコミックス)
東村アキコ
小学館


東村アキコさんの「雪花の虎」第1巻を読みました!

「個人的な感想です。」も、書き始めてもうすぐ1年9ヶ月。長い間皆さんに読んでいただき、ありがたく思っています。一日平均で3000前後、多い時には5000近くのアクセスを頂き、大変嬉しく思っています。

考えてみると、「個人的な感想です」はマンガ・アニメやその周辺の情報に対して、私個人が感じたこと・思ったことを書いているわけですが、そのほかのことに関しては書いていません。まんがブログですから当たり前のことのようですが、考えてみると今までそういう書き方をしたことはなかったのですね。自分個人の身の回りのことなどにほとんど言及することなく、ただマンガやアニメの感想を書き続けているというのは初めての経験で、それが1年9ヶ月も続いているというのはすごいことだなとちょっと感動しました。いや、全く個人的なことなんですが。

なぜこんなことを書いたかと言うと、東村アキコさんの作品を読んでいると、東村さん個人のことがよく出てくるので、ちょっとその影響を受けたような感じがします。「ひまわりっ」や「かくかくしかじか」など、東村さんには自分の身の回りのことをマンガにした作品が多くあるわけですが、そうでない作品でもときどき東村さんが顔を出す。私が好きなのは「海月姫」で、この作品はあまり東村さんが顔を出しませんが、それでも単行本では毎回必ずあとがきに東村さん個人のことが描かれていて、こういう人がこういう作品を欠いているんだな、というようなある種の安心感(?)がそこにはあるわけなんですね。

先日、NHKで放送していた浦沢直樹さんの「漫勉」に東村アキコさんが出演して、そのマンガ作りの秘密みたいなことが映し出されていたわけですが、そのときにちょうど描かれていたのがこの「雪花の虎」でした。今回この単行本を読んで見て、ちょうどTVで取り上げられた第五話がこの単行本のラストに収録されていて、ああ、この絵をこんなふうに描いたのか、ということが番組を見ると改めてわかる、ということになったわけです。

私は先にTVの方を見ているので、お花畑にいる虎千代と兄と姉の絵が、なぜああいう表情、ああいう目でなければいけないのかがよくわからなかったのですが、単行本をちゃんと最初から読んで見て、「これはこうでなければいけないんだな」ということがすごく納得出来ました。きっと私のように、「漫勉」を見てから「雪花の虎」の単行本を買った人も沢山いると思います。(というか単行本の発売は金曜日なので、連載誌で読んでいた人以外は全員TVの方を先に見ていることになるわけですが)

今回は東村さん初の歴史マンガ、しかも戦国武将・上杉謙信が主人公。正直、全くイメージが合わない(失礼)わけですが、しかし、「上杉謙信は実は女性だった」という仮説に基づいて描く、というところがとっかかりなんだろうな、と番組を見た時には思ったわけです。

しかし、単行本を実際に読んでみると、そんなどころではない。東村さんは自分が歴史物が苦手だという意識がとても強いようで、歴史に関する部分を実に詳しく説明していたり、果ては「歴史に関する説明を読みたくない人」に対するサービスページまで入れるという念の入れよう。基本的にものすごくまじめな人なんだなということがよくわかります。読み始めて、これは絶対面白いに違いないと思ったのですが、なんというか、実力者が本気で描くととんでもないスケール感が生まれる、と言う瓢箪から駒のようなすごい作品になりそうな予感を覚えています。

上杉謙信女性説というのは以前から聞いたことはありましたが、色々と実は根拠が沢山あるのですね。そこを東村さんがマンガ家の「妄想力」でふくらませ、東村さん自身はもう「謙信は女性だったに違いない!」と確信しているレベル。私も読んでいるうちに、もうすでに、「謙信は生物学的には女性だったけど実はトランスジェンダーで精神的には男だった」みたいな気がして来ているのですごいものです。東村さんの描く謙信は自分は女だという自覚はあるけれどもいわゆる女性的なことには全く関心がなく、わんぱく小僧なんだけどどこか女性らしいところもある、なんか不思議で魅力的なキャラクターに仕上がっていました。

対する武田信玄もでっぷり太った肖像画が有名ですが、一方では白皙の美青年のような肖像画もあり、やはり少女マンガではイケメンでしょう、と言うしごく真っ当な(笑)判断により、カッコいい信玄が描かれていてなかなかいいです。大河ドラマで中井貴一がやった時は格好良すぎるという違和感がありましたが、「もともとこういう肖像画もあった」と言われると、説得力を感じてしまうのが不思議なところです。侮れない策略と胆力の持ち主たる信玄の姿は、リアリティを感じるものがありました。

虎千代の家族の描き方が東村さんらしくてとてもよいのですが、特に面白いなと思ったのが謙信の兄・晴景の造形。芸事好きで身体が弱く、遊び人の戦嫌い。女だてらに父と春日山城攻略戦の検討をしあう虎千代(謙信)とは180度違います。ただその兄も大事な存在として描かれているのが楽しいですし、ほかにも父・為景の虎千代への接し方が、私はなんかとてもいいなあと思いました。

それから、姉・綾の存在。私は謙信の家族のことなど、あまり調べたことがなかったのでよく知らなかったのですが、これはまだマンガには出て来たわけではない話ですが、調べてみると実は長尾家=上杉家の中ではすごく重要な存在なのですね。子どものなかった謙信の、後を継いだのは綾=仙洞院の子である上杉景勝だったわけですし、関ヶ原の戦いの後まで綾は生き残る。景勝に直江兼続を会わせたのも綾だったと言う説もあるそうで、その重要な存在である綾をこういう風に描いているというところもまた後への布石なんだろうなあと思ったのでした。

それからもう一人重要な存在が謙信が入れられた寺の高弟・益翁宗謙。謙信の謙の字は彼からもらったというくらい、重要なつながりのある僧侶な訳ですが、暴れん坊だった虎千代を手を焼くでもなくしつけていくありさまと、時には泣き叫ぶ虎千代をぎゅっと抱きしめる描写もあって、でもそこには男女の感覚も感じさせず、凄くいい存在として描かれていました。まあ、もし本当に謙信が女性だったら、いくら子どもとはいえ女子を抱きしめるのは僧侶としていかがなものかという気はしなくはないですが、まあでもそのこだわりのなさが僧侶としての器の大きさであるようにも思えますし、いちいちきちんとキャラクターが立っている、巧妙な描き方だなあと改めて思いました。

この作品のテーマは、やはり「最強の戦国武将」と言われた上杉謙信が「実は女性だった」ということ。そこにやはり何かすかっとするものを、東村さんは感じたようです。それは特に女性の読者さんには共感を持ってもらえると思います。男性である私としては、感じ方はもちろん違うわけですが、でも、それはとても面白い話だと思う。姉の綾が13歳で上田長尾氏の政景に嫁入りすることになった時、泣く虎千代に宗謙が言う言葉。虎千代はまだ子どもだが、いつか越後から戦乱をなくさなければならないと考える時が必ず来る、だからあなたの父上はあなたを男として育てている。でもそれは男になる、ということではない。男に出来ないことを女がやればいい。女子のままでいい、女子のままで賢く強くなり、この越後をあなたにしか出来ないやり方で守って下され、というわけです。

このセリフ、まあ実際には言ったということは考えにくいので、これはつまり東村さんの思い入れ、つまりはこのマンガのテーマだと言っていいでしょう。「漫勉」でも、月をバックに立つ謙信の姿を、「月は女性の象徴だよね!」と東村さんが言っている場面がありましたが、なるほどそこにはっきりとテーマを浮かび上がらせる、月を使うのはもともとスタッフのアイデアだったそうですが、それを採用するのは東村さんですから、もちろん作品全体の責任は東村さんにあるわけで、ここにテーマと表現が重なり合って成立することになったわけですね。単行本を読むと番組のあの場面もよりその表現の成立の奇跡性みたいなものが感じられて、よりすごいなと思うことが出来ました。

史実に関しては極端な話、ネットでいくらでも知ることが出来る時代ですが、それでもそれを東村さんがどう受け取り、どう描いて行くかはとてもわくわくします。「海月姫」もそうですが、なるべく現実離れした設定が、東村さんは力を発揮されると私は感じているので、すごく楽しみになってきました。

ちなみに連載誌は小学館「ヒバナ」ということです。