聲の形(6)
大今良時
講談社


『聲の形』感想その(1)からの続きです。

すべての登場人物の中で一番諸悪の根源的に描かれているのは、いまのところ将也たちの小学校のクラスの担任教師なわけですが、何というか、こういう展開なので、この教師の問題な部分が自分にもあるのではないか、と思うとものすごく苦しくなってしまうから、途中で読めなくなってしまったのだ、と思いました。実際頑張って読んでみると実は結構違うけれども、実際の先生にはここまでではなくてもこういう先生はいるし、その存在を仕方ないものとして受け入れてしまっている、そういう心の疼きみたいなものが感じられるからだなあと思いました。(と言って、改めて詫びを入れる真柴に結局は教室使用の許可を出すようですし、悪いだけでもないキャラであるのですよね。その辺りが複雑なところです。)

いつでもへらへら、というかある意味敗北的な微笑みを浮かべている硝子というキャラクターに、小学生の将也が何となく不健康なものを感じてしまうという感じはすごくわかる。いつでも自分に否定的で、いつでも感情を押し殺している、その硝子が、「将也のためにできることは何か」と考えて映画作りの再開をみんなに呼びかけて奔走し、6巻の最後の場面で毎週火曜日に会うことになっていた橋のところに夜中なのに行ってしまい、自分がどうしようもなく将也の存在を必要としていることを理解して声にならない声で泣き叫ぶと、意識不明の将也が意識を取り戻し、第一声が「にひみや・・?」というのですが、「障害者で、可哀そうないじめの被害者」であるというキャラ付から初めて脱して、一人の人間として、一人の女の子として将也を求めて泣く、その一途な感じを取り戻すところがすごくよかった。

罪滅ぼしのために、硝子に楽しんでもらうために、新しい友達たち、古い友達たちとの交流を持たせようと頑張っていた将也が、結局西宮に対する小学生時代のいじめを優等生の川合に暴露されて、それぞれの「友達」に対する思いを辛辣な言葉で表現してしまうくだりは、その感受性の鋭さと強い自己嫌悪、これ以上自分を隠しているのは無理だ、という思いが感じられて、将也のためにはよかったと思う一方で、それが硝子にとってはある決定打になってしまった、というのがなんかやりきれないものがあるなと思います。

6巻の、意識不明の将也をめぐってそれぞれが考えるその考えの中で、一番私が感じるものがあったのは佐原みよこです。何でもすぐあきらめてしまう、逃げてしまう自分、仕方ないと思っていた自分に、変わりたい、変わらなければいけないと自分にいい聞かせる。「高めろ 自分を 変わり続けろ この先ずっと変わらずに」と言い聞かせ続ける姿。どのキャラクターも、ある意味滑稽というかかっこ悪かったりするのですけれども、この佐原の、とにかく何かに黙々と取り組んで乗り越えようとする姿が、一番なんというのかな、わかる気がしました。中島みゆきさんの昔の歌に、「泥海の中から」という曲がありますが、その「振り返れ歩き出せ 忘れられない罪ならば 繰り返すその前に 明日は少しましになれ」という歌詞を思い出しました。

思うままをとにかく書き綴る感じになりましたが、本当にいろいろなことを考えさせるところがこの作品にはあります。

読めなかったものが読めた、というなんというか安堵感も大きいのですが、やはり読むことによって頭も心もいっぱいになってしまうところはありました。

この作品は、必ずマンガ史に残る作品になると思います。

最終第7巻も楽しみにしています!